Life SUCKS but It's FUN

音楽、IT、サブカル、アイドル、その他思いつくまま好きなものだけ共有したい、ルサンチマンの雑記です。

ルーベンスに見る、あまりにも救われない『フランダースの犬』実は我々の解釈が間違っていた説

いや、ここしか知らんし。

つか覚えてないし

 

 

って人も多いと思うのでざっくりとあらすじを

 

15歳の少年ネロ 。金物屋にこき使われたあげく捨てられてたパトラッシュを保護して生活するも貧しいミルク運搬業でクソ貧乏

いつか画家になることを夢見ており、アントワープの聖母大聖堂の祭壇画を見たいと望んでいるんだけど、高い拝観料が払えない。

 

唯一の友達は12歳の少女アロア。けどアロアの父がネロをクソ差別してる。

あげく風車小屋の放火犯にされる。その上ミルク買い取り業者に仕事を奪われ、祖父を亡し、クリスマスの前日に家賃を滞納していた小屋からも追い出される。

 

クリスマス前日は、街で開かれている絵画コンクールの結果発表日。落選する。

 

厳しい吹雪の中、村へ向かう道でパトラッシュが見つけた財布を持ち主の風車小屋に届ける。

 

アロアの父は今まで行った数々のひどい仕打ちを悔やみ、翌日ネロの身元を引き受けに行くと決心する。

さらに翌日には、コンクールでネロの才能を認めた著名な画家が彼を引き取って養育しようとやって来た。

 

しかし大事な未来を無くしたことで自分の生にも絶望したネロは極寒の吹雪によってその命を奪われ続ける中、最期の力を振り絞って大聖堂へ向かい、パトラッシュと共に大聖堂に飾られた憧れのルーベンスの絵の前で、すでに死んでいた。

人々は手厚く二人を同じお墓に埋葬した。

 

 

救われねーーーー

 

子供に見せんなや。

つかこの話、何が言いたいんだよ。

 

って思いません?

思いませんでした?昔。

 

実際アメリカでは「こんな結末では、主人公たちが可哀想過ぎる」としてハッピーエンドを迎えるように改変され「ネロが息を吹き返す」「ネロの父親が名乗り出る」といった展開になっている。

 

いや、キリスト教アメリカ人どもよ、違うのよ、まったく。

これには深い意味があるのですよ。

 

まぁこれは僕の解釈なので正しいかどうかは別として

その、ルーベンスの絵が実はカギを握ってるんですよ。

 

面白そうでしょ?

 

 

ネロが死ぬほど見たかったルーベンスの絵、実在するんですよ。

 

 

フランダース地方の都市アントワープにある、聖母大聖堂 (アントウェルペン)にルーベンスの絵は3セットあるんですけど、

 

いや、正面にあるやんけ、好きに見たらええがな、と

 

 

いや、実際ネロは正面のこの絵は何度も見てるんですよ。

で、名前の通り、この教会は聖母マリア様の教会なので真ん中にあるのは聖母マリア様の絵なのですが、

 

 

ネロが見たかったのは両端にちらっと見える絵の方、これ。

 

 

で、この絵は普段閉じられているか、もしくは布がかぶさっていて、拝観料を払わないと見れないんですよ。

それをたまたま、クリスマスの日、24時間オープンだったからネロは見れた、と。

で、死んでしまうんですけど、なぜ、ネロは天国に上るマリア様ではなく、死後、十字架から引きずり降ろされるイエス様を見たかったのか、って話。

 

 

マリア様の絵とイエス様の絵、

違う点はマリア様は罪なき聖母なので死後即天使が迎えに来て天国にいくんです。

正面の絵、これはそういう絵なんですよ。

 

けど、イエスは皆さんもご存じの通り、なんも悪いことしてないのに、濡れ衣をきせられ、いいです、自分は人々の罪を背負います、つって死ぬんですよ。

ネロが見たかった隠された絵、これはそういう絵なんですよ。

 

あれ?って気づきませんか?

 

そう、イエスのその話、ネロそのものでは?

 

で、ここからがさらに重要なんですが、

もう一度タイトル考えてください。

 

フランダースの犬

 

なんですよ。

つまり主人公はネロじゃないんです、犬なんです。パトラッシュが主人公なんですよね。

 

証拠に作者のウィーダは犬好きで動物愛護協会設立に尽力した女性。

 

と、考えるとですよ。

 

フランダースの犬は、ひどい扱いを受けていたパトラッシュが、心優しきネロ(=イエス様)に拾われて、人々の罪を背負いながらも教会で最期を迎えるネロと共にその人生を終えて、手厚く人々に埋葬された。

 

って話になるんですよ。

 

深いでしょ?

 

でもあんまりこれ人に得意げに言わないでくださいね

 

ネロ=キリスト説、たぶん言ってるの僕だけなので。

 

 

ではでは。

 

ルーベンスに見る、あまりにも救われない『フランダースの犬』実は我々の解釈が間違っていた説

いや、ここしか知らんし。

つか覚えてないし

 

 

って人も多いと思うのでざっくりとあらすじを

 

15歳の少年ネロ 。金物屋にこき使われたあげく捨てられてたパトラッシュを保護して生活するも貧しいミルク運搬業でクソ貧乏

いつか画家になることを夢見ており、アントワープの聖母大聖堂の祭壇画を見たいと望んでいるんだけど、高い拝観料が払えない。

 

唯一の友達は12歳の少女アロア。けどアロアの父がネロをクソ差別してる。

あげく風車小屋の放火犯にされる。その上ミルク買い取り業者に仕事を奪われ、祖父を亡し、クリスマスの前日に家賃を滞納していた小屋からも追い出される。

 

クリスマス前日は、街で開かれている絵画コンクールの結果発表日。落選する。

 

厳しい吹雪の中、村へ向かう道でパトラッシュが見つけた財布を持ち主の風車小屋に届ける。

 

アロアの父は今まで行った数々のひどい仕打ちを悔やみ、翌日ネロの身元を引き受けに行くと決心する。

さらに翌日には、コンクールでネロの才能を認めた著名な画家が彼を引き取って養育しようとやって来た。

 

しかし大事な未来を無くしたことで自分の生にも絶望したネロは極寒の吹雪によってその命を奪われ続ける中、最期の力を振り絞って大聖堂へ向かい、パトラッシュと共に大聖堂に飾られた憧れのルーベンスの絵の前で、すでに死んでいた。

人々は二人手厚く二人を同じお墓に埋葬した。

 

 

救われねーーーー

 

子供に見せんなや。

つかこの話、何が言いたいんだよ。

 

って思いません?

思いませんでした?昔。

 

実際アメリカでは「こんな結末では、主人公たちが可哀想過ぎる」としてハッピーエンドを迎えるように改変され「ネロが息を吹き返す」「ネロの父親が名乗り出る」といった展開になっている。

 

いや、キリスト教アメリカ人どもよ、違うのよ、まったく。

これには深い意味があるのですよ。

 

まぁこれは僕の解釈なので正しいかどうかは別として

その、ルーベンスの絵が実はカギを握ってるんですよ。

 

面白そうでしょ?

 

 

ネロが死ぬほど見たかったルーベンスの絵、実在するんですよ。

 

 

フランダース地方の都市アントワープにある、聖母大聖堂 (アントウェルペン)にルーベンスの絵は3セットあるんですけど、

 

いや、正面にあるやんけ、好きに見たらええがな、と

 

 

いや、実際ネロは正面のこの絵は何度も見てるんですよ。

で、名前の通り、この教会は聖母マリア様の教会なので真ん中にあるのは聖母マリア様の絵なのですが、

 

 

ネロが見たかったのは両端にちらっと見える絵の方、これ。

 

 

で、この絵は普段閉じられているか、もしくは布がかぶさっていて、拝観料を払わないと見れないんですよ。

それをたまたま、クリスマスの日、24時間オープンだったからネロは見れた、と。

で、死んでしまうんですけど、なぜ、ネロは天国に上るマリア様ではなく、死後、十字架から引きずり降ろされるイエス様を見たかったのか、って話。

 

 

マリア様の絵とイエス様の絵、

違う点はマリア様は罪なき聖母なので死後即天使が迎えに来て天国にいくんです。

正面の絵、これはそういう絵なんですよ。

 

けど、イエスは皆さんもご存じの通り、なんも悪いことしてないのに、濡れ衣をきせられ、いいです、自分は人々の罪を背負います、つって死ぬんですよ。

ネロが見たかった隠された絵、これはそういう絵なんですよ。

 

あれ?って気づきませんか?

 

そう、イエスのその話、ネロそのものでは?

 

で、ここからがさらに重要なんですが、

もう一度タイトル考えてください。

 

フランダースの犬

 

なんですよ。

つまり主人公はネロじゃないんです、犬なんです。パトラッシュが主人公なんですよね。

 

証拠に作者のウィーダは犬好きで動物愛護協会設立に尽力した女性。

 

と、考えるとですよ。

 

フランダースの犬は、ひどい扱いを受けていたパトラッシュが、心優しきネロ(=イエス様)に拾われて、人々の罪を背負いながらも教会で最期を迎えるネロと共にその人生を終えて、手厚く人々に埋葬された。

 

って話になるんですよ。

 

深いでしょ?

 

でもあんまりこれ人に得意げに言わないでくださいね

 

ネロ=キリスト説、たぶん言ってるの僕だけなので。

 

 

ではでは。

 

ルーベンスに見る、あまりにも救われない『フランダースの犬』実は我々の解釈が間違っていた説

いや、ここしか知らんし。

つか覚えてないし

 

 

って人も多いと思うのでざっくりとあらすじを

 

15歳の少年ネロ 。金物屋にこき使われたあげく捨てられてたパトラッシュを保護して生活するも貧しいミルク運搬業でクソ貧乏

いつか画家になることを夢見ており、アントワープの聖母大聖堂の祭壇画を見たいと望んでいるんだけど、高い拝観料が払えない。

 

唯一の友達は12歳の少女アロア。けどアロアの父がネロをクソ差別してる。

あげく風車小屋の放火犯にされる。その上ミルク買い取り業者に仕事を奪われ、祖父を亡し、クリスマスの前日に家賃を滞納していた小屋からも追い出される。

 

クリスマス前日は、街で開かれている絵画コンクールの結果発表日。落選する。

 

厳しい吹雪の中、村へ向かう道でパトラッシュが見つけた財布を持ち主の風車小屋に届ける。

 

アロアの父は今まで行った数々のひどい仕打ちを悔やみ、翌日ネロの身元を引き受けに行くと決心する。

さらに翌日には、コンクールでネロの才能を認めた著名な画家が彼を引き取って養育しようとやって来た。

 

しかし大事な未来を無くしたことで自分の生にも絶望したネロは極寒の吹雪によってその命を奪われ続ける中、最期の力を振り絞って大聖堂へ向かい、パトラッシュと共に大聖堂に飾られた憧れのルーベンスの絵の前で、すでに死んでいた。

人々は二人手厚く二人を同じお墓に埋葬した。

 

 

救われねーーーー

 

子供に見せんなや。

つかこの話、何が言いたいんだよ。

 

って思いません?

思いませんでした?昔。

 

実際アメリカでは「こんな結末では、主人公たちが可哀想過ぎる」としてハッピーエンドを迎えるように改変され「ネロが息を吹き返す」「ネロの父親が名乗り出る」といった展開になっている。

 

いや、キリスト教アメリカ人どもよ、違うのよ、まったく。

これには深い意味があるのですよ。

 

まぁこれは僕の解釈なので正しいかどうかは別として

その、ルーベンスの絵が実はカギを握ってるんですよ。

 

面白そうでしょ?

 

 

ネロが死ぬほど見たかったルーベンスの絵、実在するんですよ。

 

 

フランダース地方の都市アントワープにある、聖母大聖堂 (アントウェルペン)にルーベンスの絵は3セットあるんですけど、

 

いや、正面にあるやんけ、好きに見たらええがな、と

 

 

いや、実際ネロは正面のこの絵は何度も見てるんですよ。

で、名前の通り、この教会は聖母マリア様の教会なので真ん中にあるのは聖母マリア様の絵なのですが、

 

 

ネロが見たかったのは両端にちらっと見える絵の方、これ。

 

 

で、この絵は普段閉じられているか、もしくは布がかぶさっていて、拝観料を払わないと見れないんですよ。

それをたまたま、クリスマスの日、24時間オープンだったからネロは見れた、と。

で、死んでしまうんですけど、なぜ、ネロは天国に上るマリア様ではなく、死後、十字架から引きずり降ろされるイエス様を見たかったのか、って話。

 

 

マリア様の絵とイエス様の絵、

違う点はマリア様は罪なき聖母なので死後即天使が迎えに来て天国にいくんです。

正面の絵、これはそういう絵なんですよ。

 

けど、イエスは皆さんもご存じの通り、なんも悪いことしてないのに、濡れ衣をきせられ、人々の罪を背負います、つって殺死ぬんですよ。

ネロが見たかった隠された絵、これはそういう絵なんですよ。

 

あれ?って気づきませんか?

 

そう、イエスのその話、ネロそのものでは?

 

で、ここからがさらに重要なんですが、

もう一度タイトル考えてください。

 

フランダースの犬

 

なんですよ。

つまり主人公はネロじゃないんです、犬なんです。パトラッシュが主人公なんですよね。

 

証拠に作者のウィーダは犬好きで動物愛護協会設立に尽力した女性。

 

と、考えるとですよ。

 

フランダースの犬は、ひどい扱いを受けていたパトラッシュが、心優しきネロ(=イエス様)に拾われて、人々の罪を背負いながらも教会で最期を迎えるネロと共にその人生を終えて、手厚く人々に埋葬された。

 

って話になるんですよ。

 

深いでしょ?

 

でもあんまりこれ人に得意げに言わないでくださいね

 

ネロ=キリスト説、たぶん言ってるの僕だけなので。

 

 

ではでは。

 

モネが睡蓮の絵を描き続けた切ない理由

多分皆さんも一度は目にしたことがあるモネこの作品

 

 

ちなみに宮崎駿監督がオマージュしてますけど

 

 

まぁそれは良いとして。

 

後にモネが200点あまりの睡蓮の絵を描き続けた切ない理由がこの絵にあります。

あんまり理屈っぽい話も退屈なので、さらっとモネという人について語りたい。

お暇がありましたらお付き合いお願いします。

 

モネの時代、絵画というのはとてもアカデミックで、きちんと勉強した人がサロンに入選して初めて絵が売れる、なおかつ写実的かつ古典的でまぁ僕らが想像するような『ザ絵画』こそが芸術だ、といった風潮がありまして。

 

まぁ、こんな感じのですよ、絵画と言えば、みたいな。

 

 

モネも、そもそも絵は上手いしサロンにも入選してるんですけど、落選が続くようになりそう言ったアカデミズムに反対するように、また、写真という技術も出てきて『写真みたいな絵が芸術だったらもう絵は勝てないじゃん?絵は絵でしか表現することが出来ないこともあるはずじゃん?』

 

という理由で風景の空気感と色彩を細部にこだわらず表現する、といったやり方をするようになります。のちに『印象派』と呼ばれます。

 

『印象・日の出』( Impression, soleil levant)クロード・モネ1872年

 

これが印象派の由来とされる(本当はちょっと違う)モネの作品。

雑でしょ?でも日の出の空気感がとてもよく出てて僕は好きです。

で、まぁこんな感じの絵なのでもっと評価はされないんですよ。

当然売れない。その上結婚したことで親からの資金援助を切られてしまったので田舎に引っ越すんです。奥さんと。

 

 

これが奥さんのカミーユです。

で、万博があったこともあり、モネのような新しい芸術を目指していた画家の間で日本画が流行するんですよね。後々出てきますけど、和風の橋を睡蓮の池に作ったりもしてるくらいモネは特に日本文化好きです。ゴッホもだけど。

 

で、最初の日傘をさす女、顔をよく見てもらうとわかるんですけど、これもモデルは奥さんのカミーユです。

 

モネが貧乏ながらも田舎で幸せに暮らしていたころの作品。

印象派独特の柔らかい日差しの表現がそういったモネの幸せな心まで映しているようで見ていてとても心地よい気持ちになれる作品で大好きなんですよね、僕は。

カミーユをめちゃくちゃ愛していたんですよ、って見て取れるんです。

 

けれどもここでモネに事件が起こるんですよ。

貧乏なモネのところにアリスという女性が子供6人を引き連れて転がり込んできます。

理由としてはそのうちの一人、恐らくモネの子供だから。

で、モネが浮気していた同時期にカミーユにも次男が生まれるんですが、それが原因でカミーユは亡くなってしまうんですよ。

 

で、最初の日傘をさす女から11年後、もう一度描くんです。同じ絵を。

 

 

何故だと思います?

 

僕は、なんですけど。

これはモネの決心だと思うんですよね。

前の奥さんのことは忘れて今はこの家族を大切にするんだ、という。

 

 

でもですよ。

できれば最初の絵ともう一度比べてほしいんですけど

 

 

やっぱり描けないんですよ。

こんな風に幸せに。

 

証拠にですよ。

 

顔がないんですよ、新しく描いたほうは。

誰だかわからないんですよ。

 

描けなかったんじゃないですかね、モネは。

カミーユへの愛情と、後悔が大きすぎて。

 

それ以降、モネは一切の人物像を描かなくなります。

 

代わりに、自分の庭の睡蓮を何度も何度も

まるで修行のように描き続けるんですよ。


その数およそ200点。

 

 

 

 

先にも書きましたけど、モネは日本文化が大好きでした。

当然『睡蓮』がなんの花かは知っているはずです。

もちろん亡き妻カミーユも。

 

日本画ではよく見られるんですけど。仏画なんかで。


睡蓮は極楽浄土に咲く花です。

僕はカミーユに向けて必死で描いてたんじゃないかなぁと思うんです。

 

まぁ、これはモネがはっきりと言っていることではないので

そうではないかな?というお話なんですけど、

そういう作者の物語をしると、なんだか違って見えませんか?睡蓮が。

 

芸術ってよくわからない難しいものって思うかもですけど、

そういう鑑賞のしかたもまた、よいのでは?というお話でした。

 

 

 

 

 

モネの実際の睡蓮が二枚も。

そして実際に彼の庭でとられた睡蓮の写真という贅沢空間。

僕は一時間くらいモネの奥さんへの悲しくも切ない愛情を前に動けませんでした。

 





ではでは

ドガとアイドル

ちとお出かけするのでさくっと。

 

とあるアイドルグループのイメージがドガの踊り子だった件について

 

実は僕、あんまりドガという画家が好きではないんですけどね

 

ドガの絵の大半がバレリーナだったんですけど、当時のフランスのバレエ界というのは、本場ロシアの芸術的かつ高貴な風潮と比べるとかなり荒廃していて、10代前半の少女たちがエトワール(スター)になれればいいパトロンのおっさんに買ってもらえるよ、がんばろうね!といった、社交場だったんですよね。

 

 

ドガの絵をよく見てもらうとわかるんですけど、偉そうに練習とか舞台を見守っているおっさんが居るんですけど、彼女らを品定めしてるパトロンです。

結構な闇でしょ?

 

で、なんでこんな風景を絵にしたんのか?ってことなんですけど、ものの本にはドガが生涯女性との付き合いがなかったことから『女嫌い』だからと言われてたりもするんです。

 

けど、僕はドガは全然真逆だと思うんですよ。

 

彼は晩年一人暮らしだったんですけど、彼の死後、遺族が彼の部屋を整理すると何百という小さな少女の銅像が出てきたんですよ。こんな感じの。

 

中にはもっとエログロなものもあったみたいで、さすがにこれは世に出せないよな、ってことで何点かのみ出品されたんですけどね。

 

さらに言うと目が見えなくなってから手の感覚だけで作ってるんですよね。一人で。こっそりと。

 

で、なんでこっそりと、かというと

 

一度だけ公に出展してるんですよ。14歳の少女の銅像を。

で、これが裸体の銅像に本物の髪の毛のウイッグとバレリーナの衣装を着用させるという徹底ぶりで、結構このとき叩かれたんですよ、さすがに引くわーつって。

 

ちなみに、この子はその後エトワールになれなくて売春婦になってます。

 

『女嫌い』ですかね? ドガ

 

もひとつ言うとドガの絵ってまともに女の子を正面からとらえた作品がないんですよ。

 

 

後ろからとかそっぽ向いてる間に、とか。

で絵を描くときもその場でではなくて写真でとって一人で仕上げるって感じで。

・・・女の子の目をまともに見れないんですよね。

 

 

拗らせ童貞じゃん!!!

 

ってことなんですけどね。ドガ

 

これはめちゃ余談なんですけど、ドガ印象派って一応いわれてるんですけども例えばモネが連作っていって何個も同じ睡蓮とか描いたのは光の印象を瞬間的にとらえるためで、時間によってその印象がかわるためなんですよね。

だから絵の具を混ぜないでちゃちゃっと描いていく手法をとってるんですけど(筆触分割っていいます)、そう考えると印象派なのかなぁ?という疑問はあります。

たしかに光の表現は素晴らしいんですけど。

 

最初に戻るんですけど、じゃあなんでパトロンに買われていく少女を描いていたのか?って話ですけど、これは女嫌いだからじゃなくて、逆にそういうのを変な性癖でみてたんじゃないかな?って思うわけですよ。僕は。

 

んでまた最初に戻るんですけども、じゃあ僕がなんでドガ、あんまり好きじゃないのかって話なんですけども、たぶん人からは同族嫌悪やんけwって話じゃないですかね。

 

・・・かもね(涙)

 

・・・・ってことを踏まえて、ドガの踊り子とアイドル文化の対比を考えると、これって結構ディープな話なんじゃないかな?ってブログでした。

 

ではでは。

何も報われないという美しさ「私、アイドル辞めます」について

 

 

『好きなことで、生きてゆく』

 

確か一昔前のYouTubeはそんなことをキャッチコピーにうたっていた。

 

そうなのだろう。

いや、そうであったのだろう。

 

数多くのユーチューバーが混在する今生き残るには

それなりの登録者、再生回数、高評価が必要になり、

彼らの主な課題が、どうすれば好きなことが出来るか?よりも

どうすれば再生回数を稼げるか?に変わっていったのは明らかである。

 

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「私、アイドル辞めます」の主人公、千優里 (実玖・九州⼥⼦翼)はアイドルである。

彼女の現在の目標は、ファンのため、家族、親戚のために有名になること

大きなライブを行う事であるのだが

恐らく彼女もまた普通の女の子が一度は夢見るアイドルへのあこがれとういう純粋な気持ちが出発点なのだろう。

 

『好きなことで、生きてゆく』

彼女もまた。こんな思いがきっかけだったにも関わらず、いつの間にかそれだけではやって行けない現実との葛藤に、苦しむことになって行く。

 

この映画で僕が一番すきなシーン

千優里がファンを大きなステージに連れてゆけないまま引退することを謝罪したあとに、彼女のファンである萌花(シイカリリスリバース)が一言つぶやく、

 

『違うよ』

 

この一言にファンの心理や、人を応援することの意味。千優里の葛藤への答え、そのほか色々な意味が込められているように思う、非常に重たい一言だ。

 

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努力が実ることは素晴らしいことだ。

確かにその通りだと僕も思う

そして僕らが生きるこの世界は、

そんなことばかりを称賛し、物語にし、拍手を送る。

 

けれども僕はこうも考えるのだ。

もしも僕らが生きるこの世界が

努力すれば必ず報われる世界であるのだったら

それはどんなに恐ろしくも冷ややかな世界だろうかと。

 

努力すれば必ず富豪になれる

努力すれば必ず好きな人と一緒になれる

努力すれば必ず有名になれる

努力すれば・・・

 

きっとそんな世界では僕らは利己主義にしか走らない。

自分のことにしか力を注がない。

人のためになど時間を割かない

他人を思う暇などない。

 

だから僕は思うのだ。

どうしても報われないこともあるからこそ。

努力だけでは報われないこともあるからこそ、

僕たちは他人を思い、励まし、時間を共有し、夢を、思いを、馳せるのだ。

だからこそ、この僕たちの世界は美しいのではないか、と。

 

「私、アイドル辞めます」は報われない物語だ。

千優里は結局報われない。

ファンも実生活では報われないダメな人間ばかりだ。

そしてもう千優里には会うこともないだろう

 

けれどもそんな何も報われない世界で、確かに、

優しさや、思いやりや、勇気や、明日を生きる力が満ちていたのだと僕は思う。

 

この映画は何も報われない。けれども美しい映画だ。

 

30分ほどの長さなので、

気になった方はぜひに

 

www.youtube.com

 

(写真は公式より)

 

 

『リリスリバースは今見ろ』

先日とある動画投稿アプリを流し見していた時のこと

マイケルジャクソンを尊敬する大学生なる男子が完全にダンスをコピーしている動画が目に留まり、つい声を出して驚愕してしまったのだが

それ以上に若年層が主であるその動画アプリでも、彼は結構な評判を得ていたことに驚いた。

 

だが、考えてみれば何の不思議もない『マイケルジャクソン』というコンテンツ自体が、彼のその歌声や楽曲やダンスやキャラクターが、世代をも超えて魅了するに足る存在である、ということに過ぎない。

 

さて僕は今からとある地下アイドルについて語ろうと思うのだけれども、正直に言うとコンテンツの力で言えば地下アイドルはマイケルジャクソンには及ばない。僕はあえてこの日記に関しては辛辣に意見を述べることにする。申し訳ないけれども。

 

少々話は脱線するのだが、Twitterなどで流れてくる映画の宣伝動画で『本当に感動しました!』などど、恐らく本編を見てもいないであろう、エキストラのバイトかなんかが3000円ほどの手間賃でインタビューに答えている、アレ。

いったいどこの誰へ向けてのメッセージだか未だに首をかしげるのだが、アレを見て映画を見に行くことを決めた友人がいるのであれば、ぜひDMを送って頂きたい。

素直に謝罪したく思う。

 

閑話休題

とにかく僕はそのアイドルグループの美辞麗句を並び立てて、この日記を『3000円で雇われたエキストラの発言』にしたくはないのである。

 

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俗に言われる、地下アイドルの魅力

距離が近い、友達のように接してくれる、楽曲が独特で好み、可愛い女子と会話できる、等々

どれも間違いではなく正解ではあるのだけれども、我々アイドルファンからすれば何か一つ大きなファクタが抜け落ちていて、的のど真ん中を射抜いていない気がするのだ。

 

それは何かと問われれば、僕は間違いなく『ストーリー』であると答える。

心が弱っているときに勇気づけられた、だとか

自分と同じようなトラウマを抱えている、だとか

自分と同じように地方から一人で出てきて頑張っている、だとか

いわばそれは『コンテンツの力』よりも『コンテキストの力』であり、知ることで初めて成り立つ魅力であり、そして個人的な領域を決してでるものではないのである。

 

だから普通は地下アイドルは他人にお勧めしずらいのである。

マイケルジャクソンとは違うのだ。

 

ところが、である。

実はこのグループ、僕の推しはとっくに抜けているのだ。

つまり僕にとって、このメンバーとのストーリーなどないのである。

(これに関しては既知の友人から少々反論がありそうだが今は黙ってろ)

 

そう、個人的感情抜きに純粋にコンテンツとしてこう言いたい。

 

リリスリバースは今見ろ』

 

と。

 

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リリスリバースは去年、結構な度合いで『やらかした』グループだ。(先にも述べたが僕は忖度は一切しないし隠さない)

良くも悪くも運営サイドはその点については深く触れていないし、メンバーも一切語ることは許されなかったグループだ。

 

だから僕らも彼女らの中で、どういった思いがあるのかも一切わからない。

語ることが許されない、誤ることが許されない、彼女たちに残された選択肢は何か?

 

イカ

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アサギ

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ナトリ

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決意だ。

 

それも胸が締め付けられるような、強い意志をもった決意だ。

 

何も語ることを許されない彼女たちが唯一自分たちを表現できる場

ステージの上だけで解き放たれた、情熱の塊だ。

 

ここ数週間でリリスリバースのステージは大きく変わった。

ダンスも、表現も格段に変わった。

恐らくは目に見えないところでの相当な努力をしているのであろうが

それ以上に三人のユニットとしての協調性が

同じ強い意志を持った仲間としての情熱が

僕の心を大きく揺さぶってつい涙をながしてしまう程に輝いているのだ。

 

そしてそれは何も知らない、

彼女らとなんのストーリーももたない貴方でもきっと感じることができると僕は確信しているのだ。

 

なんの知識もストーリーも要らない。

過去ではなく、これからの未来への彼女たちの決意に満ちたステージを

是非とも皆様に見ていただきたい。

 

それでは

 

https://twitter.com/RILISREVERSE_JP/status/1484858390522306560?s=20

httpshttps://twitter.com/RILISREVERSE_JP/status/1484858390522306560?s=20

 

://twitter.com/RILISREVERSE_JP/status/1484858390522306560?s=20

 

写真提供 

あっくん
@akkun0221dayo