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音楽、IT、サブカル、アイドル、その他思いつくまま、ルサンチマンの雑記です。

ネットで検索すると必ず死ぬ - 勝ち組、負け組理論

象の鼻と知識と知恵ー現代のネットリテラシー

物騒なタイトルですみません。以前見かけたBlogが興味深くてですね、著者の上司が病気にかかってしまい自分は死ぬのではないかと思って検索してみたらどこをみても「死ぬ」と書いてあった、という内容のBlogで結局その上司は手術が成功してピンピンしているそうですが、

 

この内容の何をもって僕が「興味深い」と感じたかというと

僕らは割とネットって万能で、なんでも知ることができると思いがちなのですが
実はネットって先入観をもって調べ物をしていても、出てくるのはバイアスにかかった答えばかりで、本当の正解にはなかなかたどり着けない代物なんですよね。

 

そのブログの著者の上司さんもおそらくは「◯◯病 死亡」とかって検索してみてたのではないでしょうか?

 

群盲象を評す

今では差別的表現があるとされて使われないたとえなんですけど、インドの昔ばなしにこんなのがあります。

 

むかしむかしのあるとき、ある国で盲目の人々が集まって、初めて象という動物に触ってみたそうです。

 「ゾウというのは、巨大なうちわに似ているな」耳を撫でた人は言いました。
 「いやキミ、ゾウとは大蛇のようなものだよ」長い長い鼻を撫でた人が言いました。

また別の人たちは、象のお腹や脚を撫ぜ回し、ゾウとは太鼓や切り株みたいなものなのだ、と思いました。

 

 

 まぁ、つまり「一部しか知らずに全体を判断することはできないですよ」というすごく当たり前のことの例えなんですけれども、

ネットが普及して、みんながいろいろな知識を簡単に手に入れることができるようになった現代において、では、みんなが賢くなったか?と問われたら、どうなんだろ?って感じですよね。逆に、ずっと、象の鼻ばかり撫でまわして「大蛇だ!大蛇だ!」と叫んでいる人が目立って増えたように感じているのです。


知識と知恵

象の鼻が大蛇のようで、耳がうちわのようで、足が切り株のようであるのはどれも間違いではなく、ちゃんとした「知識」なのですが、その偏った知識のみを積み重ねていったところで正解にはたどり着けません。象が大蛇だと信じる前に、うちわのようであり、切り株のようであるという意見にも耳を傾け、総合して判断しなくてはなりません。

 

そこに「知恵」が必要となります。僕らは、何かにものすごく詳しい人=頭のいい人と勘違いしがちですけど本当に頭のいい人は知識だけではなく、この「知恵」のある人のことだと僕は思うのです。

逆に言うと、この「知識」だけを振りかざしてやたらと相手を抑制する人って
僕にはちょっとどうなんだろ?って思うんですよね。


韓国はレイプ国家

「2007年に韓国で発生した性犯罪は15325件、人口1万人あたり3.16件だそうだ。
 ちなみに日本で発生した性犯罪は9430件、人口1万人あたり0.74件だ。」
(漫画嫌韓流より抜粋)

実はこれ、嘘でもなんでもないんですよ。
ただし、世界を例にあげると

 

人口1000人当たりの強姦事件件数(1999~2000年)

1位 南アフリカ(1.195)
2位 セーシェル(0.788)
3位 オーストラリア(0.778)
4位 モントセラト(0.749)
5位 カナダ(0.733)

9位 アメリ
12位 ニュージーランド
13位 イギリス
14位 スペイン
15位 フランス
16位 韓国(0.126)

少しデータ古いんですが、
韓国の強姦事件件数はカナダやオーストラリアの6分の1程度しかなく、イギリス、スペイン、フランスといった先進国とほぼ同程度、きわめて平均的(という表現は適切ではないですが)ですよね。
ちなみに日本はというと、58位の0.018件。

これは韓国が異常なのではなくて、比べている日本が異常に少ないのであって

日本と韓国を比べたデータだけを掘り下げて韓国はレイプ国家だ!!
と叫ぶのって、象の鼻をもって「大蛇だ!大蛇だ!」と叫ぶのとそんなかわんないような気がするんですけど、どうでしょ?

 

何かを証明するためにデータを集めてはいけない

上記の例もそうなんですし、冒頭の「死ぬ」って話もそうなんですけど、これだけ情報が溢れていれば、どんな説のデータだっていくらでも集まってしまうんですよね。そうやって自分に都合のいいデータばかり集めて牙城に閉じこもって反対側を攻撃するんですけど、反対でも大体おんなじことやってるんで。なんだか滑稽なんですよね、右派と左派、タカ派ハト派、まぁ言い方はなんでも良いですけど。僕は加担したくないかな?

 

今ではみんな普通に使う「勝ち組、負け組」って言葉。そもそも60年前のブラジルで言われ始めたって知ってます?

 

1945年8月のポツダム宣言受諾後もの敗北を信ぜず、「日本は戦争に勝った」と信じていた在外日本人のグループのこと  wikiより

 勝ち組は本気で負けたことを認めず、当時ブラジルの在外日本人の間では綿花の栽培が主流だったんですけど、火をつけて回ったんですよ。負け組は米国の手先で、綿はパラシュートに使うんだ!っていって。

 

この話、昔の人ってバカだなぁって笑えます?僕ちっとも笑えないんですよ。

ラッスンゴレライ=落寸号令雷とか、マジで言ってる人居るんですよ。現代でも。

アメリカ人のパイロットが「落寸号令雷!」って言ってボタン押すんですよ。原爆の。実際の音声記録も残ってるし、調べれば5秒で嘘だってわかることなのに。

 

 

その通り!と思うことと逆のこと

僕らが大抵何かの記事や意見を見たりしたときに、なるほどと思うことは実はもともと僕らの心のうちにある意見をだれかがうまいこと言っただけに過ぎない場合が多いのではないでしょうか。

 

だからそういった意見ばかりを追いかけても自己弁護にしかならず、知識はついても「知恵」はつかないと僕は思うのです。
むしろ逆に自分と思うところとは真逆の意見や資料に目を通す勇気が、または日頃自分が興味を持たない、気が付かない分野に着目する余裕が必要だと僕は思うのですよ。


だれしもが、ふと昔を振り返っては少し恥ずかしくなったりすることがあると思います。
いわゆる「黒歴史」ってやつですが、不思議なことに人は昔の自分は否定できても
頑として今の自分は正しいと思いがちです。

今の自分だって、10年後また考え方が膨らんで来たら「恥ずかしい自分」である可能性だってあるはずなのに。(もちろん僕も含め)

 

だったらせめて少し心の門戸をひろげて
自分とは真逆の意見に耳を傾けて
興味のないところをのぞいてみてみましょう。
そこに、「知恵」が生まれるかもしれませんし

 

なによりちょっと人生が豊かになるような気がします。

 

ではでは