勝手に地下アイドル最強だと思っているThere There Theresを本当に知ってもらいたかった。
僕はこの記事を書くにあたって今まで何度も下書きをし、そして何度も消してきた。
そもそもこのBlogを始めようと思ったきっかけがタイトルにある通りの動機であった。
ただ、突然一人のオタクが自分の好きなアイドルを知ってもらいたいと語りだした所で、それは単に酔狂者の戯言に過ぎす、見向きもされないことは承知していた。
だから僕はここまでたどり着くまでに散々遠回りをしてきたし、適当な言葉を紡ぎ、どうすれば伝わるかを真剣に模索してきた。
しかし、いくら考えた所でそんな都合の良い言葉など見つかるわけもなかったのだ。僕の拙い文章がそもそも彼女らの持つ芸術性を表現し、伝えることなど不可能だからだ。
僕は今、アイドルである彼女らを表現するのに「芸術」という言葉を使った。大げさに思われるかもしれないが、僕は彼女らのステージを本気で「舞台芸術」だと思っている。
THERE THERE THERES 「タナトスとマスカレード」
静寂と激動。指先から表情まで一切気を抜くことのないパフォーマンスとそれを形作る地盤である音楽の質の高さ。各々のメンバーがそれぞれの感性で楽曲の意図を理解し、表現し、そして弛まない日々の鍛錬によって統合性が産まれ、そのバランスはまるで何か一つが欠けてしまえば脆くも崩れてしまうようなガラス細工のような危うさも持ち合わせている。
アイドル、という文化が多様化していることは皆さんもご存知だと思う。そして傾向としてメディアへの露出を念頭に置けば置くほどメディアミックス展開(CMやグラビア、バラエティ等)をせざるを得なくなり、当然ライブにおけるパフォーマンスの質は落ちてゆく。
しかし僕はそこに優劣の序列があるとも思っていない。ファンの要望が多様化するに従い、アイドルも多様化してきている、というだけの話だ。
ただ、そういった構造上の問題から、彼女たちのようなある部分に於いて他の追随を許さない表現力を持ったユニットが、日の目を見る機会が殆ど無いことを非常に残念に思うのである。
BELLRING少女ハートと言うアイドル
彼女たち「There There Theres」は2012年から2016年まで活動していた「BELLRING少女ハート(通称ベルハー)」というグループの後継グループだ。
ベルハーは基本的に60年代のレトロサウンドから同じく60年代、90年代のサイケロックつまりサマー・オブ・ラブ及びセカンド・サマー・オブ・ラブを基調に置いている。もっと平たく言ってしまえばドラッグ・カルチャーそのものだ。
BELLRING少女ハート - BedHead
タイトルのベッドヘッドはもちろんアメリカのサイケロック代表格である、グレイトフル・デッドのファンの総称「デッドヘッド」のもじりであろう。
この下手くそで撚れた感じのヴォーカルが同時にサイケ感と少女性(アイドル性)を実にギリギリのラインで表していて、それまでアイドルとはほぼ無縁だった僕の心をガッチリと掴んでしまった。
と、同時にビートルズが中期以降、つまりはドラッグ・カルチャーに傾倒してから我々日本のようなドラッグ文化とは距離をおいた人種には少々理解され難いものとなったのと同じようにまた、彼女らの音楽はとてもわかり易いものとは言えなかったと思う。
この一連の悪ふざけの極北にあるのがこの曲
BELLRING少女ハート/WIDE MIND
僕の記憶が正しければ田中プロデューサーが「イエローサブマリンのような曲を好き放題やってみた結果」だそうだ。僕の中では名曲ではあるものの、演っている彼女らも観ている側も、一体なにが起こっているのかよく分っていない感じがとても好きだった。
とは言えベルハーはその4年間の歴史の中で純粋にロックとして秀逸な曲や
BELLRING少女ハート / low tide
フェスに於いて絶対的なアンセムとなりうるasthmaの様な名曲も残している。
BELLRING少女ハート「asthma」
There There Theresと言うアイドル
ベルハーの崩壊後、そのメンバーの半数を入れ替えた2ヶ月の後、彼女らはゼアゼアゼアーズとして復活した。後継グループということでベルハーの曲も衣装もそのまま受け継いでいた、が、ベルハーに心底惚れ込んでいた僕からみたゼアゼアは全くと言っていい程別の存在であった。(冒頭のタナトスとマスカレードもベルハー時代の曲である)
田中プロデューサー曰く「基本的にはベルハーと変わらない、フロアの雰囲気が変わっただけ」だそうだが、僕にはそうは思えなかった。
まずベルハーの頃に感じていた、上手く歌うよりは感情を、小奇麗に見せるよりは爆発を、優先させるかのようなパフォーマンスは、全く真逆の物となっていた。
Sunrise=Sunset - There There Theres
言わずともボーン・スリッピーのオマージュであり、ベルハーのasthmaと対をなすような、フェスに於いてアンセムとなり得る可能性を秘めた名曲だと僕は思っているのだが、ベルハー時代のそれと比べても歌唱力や舞台としての魅せ方が格段に上だと、僕は思っている。とてつもなく壮大であり美しい。
下手な説明よりも一連のライブの流れを観ていただいた方が早いと思うので、どうぞリラックスして、好きなカクテルでも片手に観ていただきたい。
1・ペリカン
2・NYLON FLAMINGO
3・There's something behind
4・白昼夢
5・SOIL
6・IKENIE
7・スナッキー
8・Sunrise=Sunset
9・Burnable Garbage
NYLONFLAMINGOや、SOILのような独特な世界観を持ったコアな部分を温めながらも、純粋なエモポップ・ロックとしても成り立っていて、サイケデリックな印象はかなり薄らいでいると思う。
これはアイドルとしてではなく、現代の「ロック」のあり方として、一つの完成された正解じゃないかと僕は真面目に思っているのだ。
そしてその現代ロックでは表現しきれない部分、つまりはアイドルでしか表現できない、彼女達によるダンスというパフォーマンスが一体となって、唯一無二の世界観がステージ上で美しさを放っている。
僕はこのグループが果てしなく好きだった。
心底愛していた。
僕はこの素晴らしさをどうにか伝えることが出来ないかと、このBlogを始めたのだが、結局言葉が見つからず、そしてこの日記でもそれは達成できずに、
ゼアゼアゼアーズは今月をもって、解散となってしまった。
僕は去年の終わりから今年の初めにかけて、持病がぶり返してしまい、行きたかったライブに行くことが出来なかった。
その後、僕の復帰後の写真、
大丈夫、と言ってくれた彼女、
後で知ったのだが、このとき既に肋骨四本にヒビが入っているのである。
それを凄いね、偉いね、と思ってほしいのではない。
それを押し通してでも「魅せる」事に執着しつづけたメンバー達の生き様を、ライブ映像を通してみて頂きたいのだ。
地下アイドルファンをしていると、度々言われる事がある。
「身近な存在だから、応援したくなるんでしょ?」と。
冗談じゃない。彼女らは僕なんかの後押しなど無くても遥か上空で、輝き、羽ばたいていたのだ。
そしていつも僕を鼓舞してくれていた存在だったのだ。
僕と彼女たちの青春はここで一旦幕を閉じる。
僕は本当にThere There Theresを皆さんに知ってもらいたかった。
そして映像では伝わらない迫力を観ていただきたかった。
それではまた、いつかどこかで。