アメリカ - サイモンとガーファンクルへ捧ぐ
最悪な気分だった。
車が故障して近所のガレージに持って行ったのは良いが、納期が遅れに遅れたのはこの国ではよくある話としても、出庫するときに作業員がfour-letter word(四文字言葉、暴言)を吐いたのだ。なにかは覚えてないが、Fuck、Cunt、Shit、米国で他人を侮辱する汚らしい言葉は大抵四文字だ。恐らくしつこく毎日のように納期を催促してきた東洋人が気に入らなかったからだろう。
日常的に差別を受けることは多々あった。そしてそれに決して慣れることはなく、北国のニューヨークに降る真綿の雪のように少しずつ、だが確実に自分の奥底に積もっていくのを感じていた。予想もしていなかった執拗な悪意を、普段はこの国の癌だとおもって諦めることにしていた。
だが今回だけはとうしても許せなかった。
"Come back tomorrow”
(また明日来い)
と何度も納期を延期された挙げ句に、やっと仕上がって何枚かの$100札を渡した途端の暴言だ。
知り合いのホームスティ先のホストファーザーに法的な糸口がないか、聞きに行くことにした。彼はこの小さな片田舎の判事で、皆に「ジャッジ」と呼ばれている人望ある有力者だと聞いていた。
"so they called me names judge"
(彼らに侮辱されたんだ、ジャッジ)
彼は真剣なような態度で話を聞いてくれたが、私の方から電話しておくよ、気の毒だったね、と言う彼の、その張り付けたような出来合いの笑顔が癪に障ったので早々に話を切り上げた。
この国では強者が弱者の上に立っているわけではないのだ。弱者がさらなる弱者を見つけて上に立とうとする、そして強者はそれを見て見ぬふりをするのだ。
何を期待して彼を訪れたのかさえ、忘れてしまった。
いや、そもそも何を期待してたった一人でこの国にやって来たのだろうか。
マンハッタンでは3ヶ月で資金が底をついてしまい、同じニューヨーク州で一番学費が安い学校に転校することを決めた。場所も無名の土地だった為に、大まかな位置しかわからなかった上に、実際に思っていたよりもニューヨーク州は大きかった。
ニューヨーク全体が大都会と思われがちだが、ビルのひしめき合う「あの部分」つまりマンハッタンは実際のところ、ニューヨーク州の中では緑で示したこれだけの大きさしかない。
この小さな緑色の部分を一歩でたら、あとは殆ど草木と山と川しかないと思っても間違いない。
とりあえず一番近くの大きな街までグレイハウンドに乗って行ってみた。そこから先は交通機関が無いため、自力で解決しなければならなかった。一度隣のニュージャージーに入ってから向かう。4時間近くもかかった。
オールバニーに着いて、何人にも聞いてみたが、誰も自分の大学の場所を知らなかった。それでもやっと知っている人をみつけ、大学の近くまで乗せていってもらった。更に2時間掛かった。夜中に学校についてしまって途方にくれたが、それでもこれから始まる何かに期待して興奮していたのだ。寮のオヤジを叩き起こして、充てがわれた何もない部屋で寝転んだ。その夜は寝れなかった。だがその興奮が何だったのか、今ではもう思い出せないでいるくらい、アメリカにはなにも期待しなくなっていた。
偽善者を絵に描いた様なジャッジの家からの帰り道、突然電気系統が全て遮断してしまった。治ったというのは嘘だった。その上、金を取られた挙げ句、馬鹿にされたのだ。そうして憧れて、憧れて、憧れぬいたこの国で、今、自分が最底辺の扱いを受けて居ることを改めて思い知った。アメリカという国の冷たい現実が、まるで遅延性の毒のように自分を蝕んでゆき、夢を失い、ひどく失望していたのだ。もう何もかもどうでもよくなってしまった。日本が恋しくてたまらなくなった。
トボトボと坂道まで車を押して歩き、惰性で下りながらローギアに入れてみた。何度か繰り返してなんとか始動したが、止まったら二度とエンジンはかからない気がした。何もない一本道の脇に、やっとボロい倉庫みたいなガレージを見つけた。50歳くらいの無愛想な汚いオヤジがでてきた。
彼はどうやらイタリア系の移民で一世のようだ。英語がまともに話せない。が、どうであれ、故障箇所の説明ついでに、ボッタクられてバカにされた経緯も話した。愚痴を言った。悪態をついた。その上で、オマエならこの車治せるか?と試すように聞いた
”this is not a car this is a toy! ”
(コレは車じゃない、オモチャだ)
確かに小型の車だったが少し腹がたった。コイツもどうせ馬鹿にしてるのだ。その上、全く同情するでも、慰めるでもなく、治せると言うでもなく、勝手にボンネットを開けた後、オレは忙しいんだ、壁に道具がぶら下がっているからまず、スパナをもってこいと言ってきた。ますます馬鹿にされている気分だった。
言われた通りスパナを持ってくると、ここを分解しろ、終わったら言え、と言われた。修理を依頼したのに、なぜかオヤジに命令される。その後もここを取り外せだの、あそこをいじれだの、オヤジは別の車の修理をしながら片手間で命令してくるばかりで結局何もしてくれなかった。こんなひどい話、聞いたこともなかった。
だが車は言われたとおりにいじっているうちに治ってしまった。
帰ろうと思い、いくらだ?と聞くと
”Why? You fix the car, I don't”
(なぜだ?オマエが治したんだろ。オレじゃない)
とぶっきらぼうに言うとオヤジはさっさと別の車の修理に戻ってしまった。
オヤジの行動の意味がやっと分かった。一切手を出さなかったのは、ボッタクられたばかりの東洋人のガキから金を取りたくなかったに違いなかった。思い返してみればTOYだと言ったのは、オマエでも治せるぞ、という意味だったのかもしれない。
その様子を始終面白そうに観ていたヤツがいた。オヤジにビルと呼ばれていたその男は、長髪でだらしない30歳くらいの、いかにもな感じのアメリカの田舎の白人だった。従業員ではなく、用もないのにいつもこの場所にいるような感じだった。
ビルに、一番近いスチュワートの場所を聞いて、治ったばかりの車で6缶パックのバドワイザーを買いに行った。
戻ってみるともうひとり別の男が居た。ガレージの中の正面の壁の中くらいの高さの位置に内側へ突き出したベランダのような出っ張りがあって、そこから彼がこちらに手招きしているのが見えた。
今にも崩れそうなはしごを登って行くと、彼は(静かに!)という仕草で口に手を一本立てて、そのままその指を窓の外の庭の木の根本へと向けた。
そこにはりんごが一個落ちていた。彼が置いたものらしかった。が、それがどうしたというのだろう?彼をもう一度観て答えを求めたが、彼の視線はそのりんごから離れることはなかった。
二人とも、何を話すわけでもなく、りんごをただただ眺めていた。と、突然木の上からリスが降りてきて、りんごを器用に食べ始めたのだ。
彼はガッツポーズを大げさに取った。なにがそんなに嬉しいのかわからなかったけれども、とにかくこれを見せたかったことだけはわかった。彼はオヤジの息子でマリオと言った。オヤジと違いアメリカで生まれ育っているので普通のアメリカの若者と言った感じだった。ガレージの看板を見る限りでは彼も従業員のはずだったが、毎日1時間くらいこうしているのが日課なんだと下に降りながら語ってくれた。
マリオは愛想のいい男で、買ってきたバドをオヤジにやってくれと頼むと、ひと缶もぎ取ってオマエも飲んでいけと渡してくれた。
”I don't touch a drop ”
(酒は一滴も飲めないんだ)
と言うとビルがバカにするように笑った。
コイツには渡すな、とマリオに言ったが遅かった。ニヤリと笑って一本取るとありがたそうにこっちに缶を掲げて振ってみせた。
仕事を切り上げたオヤジを待って、汚い倉庫みたいなガレージの隅っこで、壊れたソファーと高すぎるスツール、道具箱の上、えらく座り心地の悪い椅子に、それぞれ座って乾杯をした。
一人だけ酒を飲んでいなかったのもあるのかも知れないが、彼らの会話は暗号のような、常にそこに居る人間にしか通用しないような、そう言ったたぐいの共通言語で成り立っていたので邪魔をしないように会話には入らず、ボロいラジオを聴いていた。
ラジオからサイモン&ガーファンクルの「アメリカ」が流れてきた。
中学生の時意味もわからずによく聴いた曲だ。
なんとなく一緒に口ずさむ
Let us be lovers, we'll marry our fortunes together
意外と覚えているもんだった。ビルはボソボソと自信なさげに時々歌に入ってきた。マリオとオヤジは黙ってラジオと二人の歌を聴いていた。
叙情的な曲で、今でもやっぱり意味がハッキリとはわからない。ただ、アメリカを旅するようにここにたどり着いた自分には、中学生の時ではわからなかったいくつかの言葉が今の自分に抽象的に刺さって居ることに、歌いながら気がついた。
Kathy, I said as we boarded a Greyhound in Pittsburgh
(キャシー、と僕はピッツバーグでグレイハウンドに乗り込みながら言ったんだ)
Michigan seems like a dream to me now
(ミシガンに居た頃が夢見たいだね)
It took me four days to hitchhike from Saginaw
(サギノーからヒッチハイクで4日もかかった)
I've gone to look for America
(僕はアメリカを探しに来たんだ)
マリオのオヤジはどんな思いでここにたどり着いたのだろうか?
不器用なオヤジの性格のせいで儲かってるとは言い難い、この汚い倉庫とボロい車たち。仲間はビルとマリオと裏庭のリス。これが本当にオヤジの探していたアメリカなのだろうか。
Toss me a cigarette, I think there's one in my raincoat
(「レインコートにタバコが一本入ってるだろ、放ってくれよ」)
We smoked the last one an hour ago
(「1時間前に、最後の一本吸っちゃったじゃない・・・」)
Kathy, I'm lost, I said though I knew she was sleeping
(「キャシー、明日が見えないんだ」彼女が寝ていると知っていて言ったんだ)
And I'm empty and aching and I don't know why
(「今の僕は空っぽで、ひどく痛むんだ。どうしてだろう」)
Counting the cars on the New Jersey Turnpike
(ニュージャージーのターンパイクで車を数えた)
They've all come to look for America
(彼らも皆、アメリカを探しに来たんだ。)
歌いながらボロボロと涙が溢れてきた。人々の遠慮ないトゲのような言葉に、自分の探していたアメリカは虚像だったことを思い知り、この国に来た希望を忘れ、意味を見失っていた。
ビルが突然歌うのを辞めて、オレのトラックに乗せてやるから来いと言って外に出た。
ついていくと高所作業用のトラックが停めてあった。ビルはケーブルテレビの配線の修理をする作業員だそうだ。やっと自分の作業車が持てた、最高の車だ、と自慢していた。
助手席に乗ろうとすると、そこじゃない。先端のかごがオマエの場所だ、と言った。横のはしごを登って先端のかごの部分に入ると、わけのわからない奇声を発しながらビルはビール片手にリフトのアームを目一杯伸ばしてくれた。
相変わらず広大な何もない風景が広がっていた。いくら授業料が最安値だからといって、この街はあまりにも何もなさすぎた。そう思っていた。漠然と探し求めていた「アメリカ」はここにはなかったと、そう思っていた。
何が見える?とビルが叫んだ。
"donno...man,I see the middle of nowhere."
(わからないよ、ど田舎だ)
”damn right! middle of nowhere”
(その通りだな。どこでもない所のど真ん中だ)
「middle of nowhere」というのは田舎を馬鹿にした言い方だ。自分は皮肉を込めてそのつもりで答えたのだが、この場所で自分の夢を叶えたビルが陽気に返したその同じ言葉は何故か、違う意味に聞こえた。
”Toss me a BUD I think there's one on the table ”
(テーブルの上にバドワイザーが一本あるだろ?放ってくれよ)
と言うとビルは、2つの意味で笑いながら、オマエ飲めないんだろ?大丈夫か?と言いながら届く位置まで一度アームを下げてから、取ってきたビールを放り投げてくれた。
ビルが腰に巻いてくれたロープがあるから大丈夫だと答えた。
もう一度、一番高いところまであげてくれと頼んだ。ビルの夢だった作業車のアームがゆっくりと伸びている間、ビルの言葉の意味を考えていた。
アームが止まり、景色を再び見下ろしながら一口飲むと、やぱりビールは不味かった。もう二度と飲むまいと思った。
ビルがニヤけながらどうだ?最高だろ?と叫んだ。
”Tastes like shit man! FUCKIN' A!!!”
(クソみたいな味がする!最高だな!!!)
ビルは下品な言葉遣いの東洋人に、いつまでも笑っていた。
人々の汚い言葉も、騙してくる連中も、金持ちの偽善者も、汚いガレージのオヤジも、裏庭のリスも、酔っぱらいの操縦するダサいリフトのてっぺんも、クソ不味い缶ビールも、そして相も変わらず無駄に広がる、このなにもない風景も、確かに自分が探していたアメリカではないけれども、だがそれは、自分が作り上げたアメリカという身勝手な虚像に、自分自身が勝手に裏切られただけかも知れないような気がした。
このどこでもない場所のど真ん中で、オヤジが、ビルが、マリオが、手探りしながら自分自身のアメリカを見つけ出したのだとしたら、人々が浴びせる差別でさえも受け入れながら、まだ知らぬ自分だけのアメリカを、手探りしながらでも探して行きたいと思った。
ビールを一気に飲み干した。
やはり、これだけはもう辞めておこうと心に誓った。