Life SUCKS but It's FUN

音楽、IT、サブカル、アイドル、その他思いつくまま好きなものだけ共有したい、ルサンチマンの雑記です。

命に嫌われている青年が泣きながら歌う少女に出会った花譜という希望

「引っ張ったゴムを手放すやうに」だとか「ともすれば配達人にさへ驚愕する」だとか、学生の頃、的確に自分の心境を言葉にする詩人に出会ったときに、かつてないほどのシンパシーを感じたと共に、いわゆる文豪だとか偉人にすら、駄目な人間は居るということに驚いた。

 

僕が物心ついた時にはすでに、両親は顔を合わせれば子供の前で別れるだのなんだのと、口論となるような家庭で育っているので、愛されただとか、可愛がられたとかいう記憶が全く無いのだけれど、一度だけフザけた僕を母親が笑ってくれた記憶だけが強烈に残っているので、自分の存在価値などないと信じていた自分は、人付き合いにおいてはおどけることでしか他人の愛情を求めるすべを知らないまま育ってしまい、実は学校から帰って両親が帰宅して鉢合わせをするまでの数時間、父親のレコードを部屋にこもって聴いているときだけが自分自身そのものだった、と、まるで野坂昭如の小説のように、句読点だけで結んで、口早に自分語りはこの辺にしておきたい。

 

冗談はともかく、そういう親を恨んだことは一度もないのだけれど、外で無理をした分、ひっぱったゴムを手放すように孤独と音楽に溺れ、配達員の仕事のような当たり前のことがなかなか出来ない、生きるのが下手くそな人間に育ってしまって今でもそれが振りほどけないのは事実なのだ。

 

形は違えど、その詩人以降、いやもっと前からも生きるのが下手くそな人間は割と大勢いるわけで、カンザキイオリという青年も学校に行く意味がわからず不登校のままラーメン屋でバイトしたお金で一人で音楽を始めた人だ。

 

一人、ということは必然的にニコニコ動画だとか、初音ミクというフォーマットが一番手っ取り早いわけで、「命に嫌われている」という曲で殿堂入りを果たした、界隈では結構有名なプロデューサーではあるのだけれど、

 

僕には、いや、これは彼の技量ではなく、全くもって僕個人の事情なのだけれども、そういう駄目な人間の芸術に多く触れすぎたせいなのか、初音ミクという割と若い世代向けのフォーマットのせいなのかわからないのだけれど、当時はそこまで深く想うまでは至らなかったのが本音だ。

 

ところが。

15歳の少女が歌った「命に嫌われている」を聴いたときに、初めて彼の言葉が立体的に、二次元的だった言葉が三次元的に僕に襲いかかってきたのだ。

 

 

花譜 #33 「命に嫌われている(Prayer Ver.)」【オリジナルMV】

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僕はボロボロと泣きながら言葉を噛み締めつつ、

リピートをしてはまた再生する、の繰り返しが止まらなくなってしまった。

 

カンザキイオリ氏はその楽曲のなかで自分の多くを語ってるので、彼の人物像の想像は容易い。

だが、この花譜という少女は自分の多くを語らない。

ラーメンとアイスが好きな東北の中学生ということくらいしか僕は知らない。

 

彼女の「命に嫌われている」は、彼女の経験からなる自身の楽曲へのシンパシーなのか?

それとも単純に彼女の歌への突出した表現力の為せる技なのか?

 

僕には全くもって判断材料がないのだけれども、

彼女は他にも好きな歌をカヴァーしていて、生きること、死ぬことに関しての楽曲が目立っているように感じられるので、やはりカンザキ氏のような、生きることへの不器用さを持っているような気がしている。

 

 

と、まぁさも凄いアーティストを見つけてきましたよ的な入りをしてしまったのだが、正直彼女はとっくに有名であって何を今更と言われるかもしれないのだけれど、

 

僕のような中年には「ボカロP」だとか「ヴァーチャルシンガー」といった障壁は意外と大きいのではないかという想像も交えつつ、もし、先にも述べたように川谷絵音氏に楽曲を提供されているような現在の彼女像しか把握してない方がいたら、その根底に横たわっている、もっとエグみのあるものに少し触れてみて欲しいのである。

 

そうなのである。

彼女は現在高校生であり、われわれの数年とはかなり違った時間軸と経験速度を生きていて、生きるとか死ぬとか、何が正しいとか間違いだとか、

そういう次元から、もう一つ抜き出しつつあるのである。

 

 

花譜 #36「不可解」【オリジナルMV「不可解」Live Ver.

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 やはり生きることへの不器用さを訴えながら、社会的な正しさへの不和を認めながらも、そういうものではない、表現したいなんだかよくわからない名前のない不可解な感情があって、「正しく、人間らしく生きる」こととは真逆の、今まで否定し、否定され続けてきたその感情こそが、人間の証だ、と最後に胸を張って言い放っている。

 

これはまだ不確かではあるものの、カンザキ氏が彼女とであって生まれた希望であって、そしてそれに心打たれた我々の希望なのかもしれない。

 

 

 

花譜 #61 「畢生よ」【オリジナルMV】

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 『俺の残機を投下します』という小説のプロモーション楽曲なのだけれども、どうにも花譜が歌うと、カンザキ氏の感情のすべてのように聴こえてしまう。

 

先にも述べたが、彼女の表現力の賜物なのか、カンザキ氏の表現力の賜物なのか、僕にはもう判断材料がないのだけれど、確実に二人が何かを見つけ、そこに向かって必死にあがいているアーティストであるのは確かなのだ。

 

今年「観測」と観測の楽曲がリミックスされた「観測y」が発表された。

ボカロ楽曲に抵抗なく、花譜の感情を正面から受け取れるひとは是非観測を、

ライトに聴いてみたい人は観測yをおすすめしたい。

 

 

yの方は聞き流しながらでも心地よく聴ける感じのトラックビートで成り立っているので、「ボカロP」だとか「ヴァーチャルシンガー」に抵抗あるひとにもおすすめできる。

個人的には雛鳥(傘村トータ Remix)の踊るようなピアノが少々でしゃばり過ぎていて気に入っている。

 

そう、彼女らは進化していて、それはもう僕らがどのように受け止めても良いだけの引き出しを持っている。

「観測」とは、われわれにその選択を丸投げしているという意味である。

 

 

彼女たちはもっともっと姿を、表現を変えていくのだと想う。

最新の楽曲は、まるで過去の自分たちを客観的に叱責しているようにも聞こえる。

 

花譜 #68 「メルの黄昏」【オリジナルMV】

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 彼らがより大きなステージに踏み出すまえに、

偏見をすてて聴いていただきたい。

 

本当に素晴らしいアルバムなので、ぜひ。