Life SUCKS but It's FUN

音楽、IT、サブカル、アイドル、その他思いつくまま好きなものだけ共有したい、ルサンチマンの雑記です。

キュークロプス-オディロン・ルドン

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 我々の祖先はネズミやリスのような動物で、主に木の上で果物や木の実等を主食にして生活していた。地上は大型の肉食動物が支配していたからである。

ところがその数万年の生活の中でー生物学的にただしい言い方をすればー突然変異によって顔の側面ではなく前面に2つの目が付いている種族が現れだした。そして前方に付いた2つの目というのは対象物を立体的に観測するのに優れており、例えば一本の木の実を食べ尽くしたあとに、危険な地上に降りて隣の木に移動するのではなく、隣の木との距離を測って飛び移ることが可能だったのである。そう、猿の誕生である。

もっと簡単に生物学的に正しくない言い方をすれば、

「我々の2つの目は相手との距離を正しく測るために前方についている」

と言い換えることができる。

 

キュークロプスとは天空神ウーラノスと大地母神ガイアの息子たち、の総称であり、1つ目の巨人のことなのだけれども、ルドンが描いたのはキュークロプスの中でもポリュペーモスの物語の一節と思われる。そして、「古来からポリュペーモスは獲物を襲っては食べ尽くす獰猛なモンスターとして描かれてきた。しかし、ルドンが描く1つ目巨人は、これまではまったく正反対で、危険性がなく、臆病なモンスターとして描かれている。」 とされているのだけれども(wikiにもそうある)、僕はこれに猛烈に反対したい。ルドンの描くポリュペーモスがどの作品よりも恐ろしい。

 

ギリシャ神話の中では、ポリュペーモスはガラテイアに恋をしてしまい、彼女を目で追い行動を覗き込むようになってしまうのだけれども彼女にはアーキスという恋人がいることを知ってしまう。これに怒ったポリュペーモスは岩を投げつけ、アーキスを殺してしまう。

 

恋愛において、一番大切なのは距離感なのではないかと思う。「週末会えたら」「毎週会えたら」「毎日居られたら」のようにお互いが同時に距離を詰められたら良いのだけれど、時としてその距離感の差や履き違えは悲劇を生む。いや、悲劇ならまだ良い。時としてそれは恐怖に変わる。

 

キュークロプスは一つ目巨人という設定から、その2つが誇張されて描かれるが、この物語の本質的な恐怖は、岩を投げつける、という暴力性ではないと思う。

相手の感情を測ろうともせずに、毎日つきまとい、近づき、覗きみ、知ろうとし、勝手に裏切られたとし、相手を攻撃するという、心理状態に本質的な恐怖があるような気がするし、それこそ、このどこを見ているかわからないような1つ目が、冒頭に僕が書いたような「相手の距離との測れなさ」を象徴しているような錯覚すら覚えるのである。

 

もっともギリシャ神話時代に進化論などないので、これは全くの僕のこじつけであるのだけれど、ルドンが彼を、あえて幼児的に描いているのも、何を仕出かすかわからないような不気味さを感じさせるのであるが、皆さんにはどう見えるだろう。