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音楽、IT、サブカル、アイドル、その他思いつくまま好きなものだけ共有したい、ルサンチマンの雑記です。

エヴァンゲリオンは現代のヴァニタスとゴドーである、気がするというお話

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 『愛の寓意』アーニョロ・ブロンズィーノ(1540~1545)

 

中世のヨーロッパの知識層の間で、寓意絵(ヴァニタス)という芸術が流行した。一見すると訳のわからない絵なのだけれど、これは何を表してるのか、というのを自分たちの知識でもって解明してゆくのである。そしてもちろんこの絵にもきちんとした正解は存在する。現代では僕のような無教養な人間でもググれば直ぐに答えが出てくるので気になる方は検索してほしい。

 

エヴァンゲリオンは最初のテレビ放送の直後にまさにこういった流行を巻き起こした。庵野監督がどこまで意図したかはさておき、宗教論から精神医学論から哲学論から、様々な角度からの考察がなされ、なんとなく納得のゆく話から妄想に近い話までありとあらゆる意見が交換され、挙句の果てには勝手な解釈をつけた謎解き本なるものまで多数出版された。

 

僕個人の感想を言わせてもらえるのであれば、まぁ僕のブログなので勝手に言うけど、碇シンジくんを筆頭に主要な登場人物、もっとマクロで言うなら人類は全て心に欠けている、満たされていない部分をもっており、それならみんなで一つになって補いましょうというところで、シンジくんがいやそれは正しくないんじゃないの?どんなにツラくても自分の世界は自分が変えることができると思うからやっぱり個を選ぶつって、あら?シンジくんそれに気づいたのね、おめでとう

って話だと思っているので、エヴァってなんなの?使徒ってなんなの?リリスって?リリンって?カヲルくんは受けなの?攻めなの?みたいは話は別にどうでもいいと思ってる。考察が楽しいのは認める。

 

で、僕が面白いなとおもうのが、エヴァの副監督である釣巻氏がFLCLフリクリ)という作品を出すのだけれど、その中で主人公の父親がエヴァ謎本を出したことがあるとか言って、このエヴァムーブメントを少し小馬鹿にしたりしているのである。

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更に、一部ガノタの間では「いやいや、ハンマーてww」で有名なガンダムハンマーと、ガンダムの監督の富野氏の名前が多様されるのだけども、ガンダムはすごい、富野監督もすごい、でもハンマーとか出てくるんだよ?所詮ロボットアニメなんだよ?

という表現がなされている。

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・・・うん。ないなコレは。

 

つまりエヴァの制作陣側が、いやいや皆さん難しいこと言ってますけど、これロボットアニメですよ?と、釘を刺しているのである。と思う。

 

少しこれと似た話が映画界でもあって、アレハンドロ・ホドロフスキーという監督が、砂漠のガンマンが様々な訳のわからない敵を倒し最後仙人を倒したあとに、洞窟を支配する神となる、というカルトムービー、エル・トポを発表した後に、ジョンレノンとかアンディー・ウォーホルなんかが絶賛するもんだから、まさにエヴァと同じような激しい考察合戦から、物事の真理をそこに探るような激論が繰り広げられるという現象がおこった。

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で、この監督が次にホーリー・マウンテンという映画を制作するのだけれども、これもまた一人の男が真理を求めて意味ありげな人々に出会って旅をするみたいな映画で

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ネタバレしちゃうと、最後の最後のいよいよというシーンで、カメラがパンして、マイクさん、カメラマンさん、スタッフさん、を写すのである。

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僕はこのラストシーンがめちゃくちゃ好きで、いやいや皆さん、映画なんかに真理が転がってるわけないじゃん、映画っすよ?これ、と監督が言っているのが聞こえるようで拍手喝采してしまったわけです。

 

で、そうは言っても、あまりにも説明の足らないパートをエヴァンゲリオンに散りばめすぎてしまって、何年も時を重ねるごとにファンの妄想と期待が監督の想像以上に膨れ上がってしまっている、というのもまた事実だと思うし、変な着地をしたらそれこそ「これじゃない!」と炎上してしまうのは間違いないと僕は思う。

 

演劇をやるひとでおそらく知らない人は居ないであろうと思われる作品にイギリスの劇作家ベケットがによる「ゴドーを待ちながら」という戯曲がある。

 

どういう話かというと、

二人のホームレスがひたすら「ゴドー」という人物を待っているだけというユニークな作品です。二人はゴドーを待っている間、暇つぶしのような会話を繰り返します。途中でポッツォとラッキーという二人組の男がやってきますが、状況を変えることなく去っていきます。少年が現れ、「ゴドーさんは、今日は来られません。明日は来ます」という伝言を残します。2幕目もほぼ同じような筋です。ゴドーはいっこうに来そうもなく、あまりに退屈なので二人は首をつろうとしますが、うまくいきません。

 

というお話で「何も起こらない、それが2度(2幕)」と評され、フランスでの初演時には怒りと当惑をもって受け止められたのだかれども、一部ではゴドー(GODOT)は神(GOD)のことである、とか色々な考察の余地もある作品で、とにかくこの二人の会話がなにか深い意味があるのではないか?と思わせるような構成で成り立っている上に、ベケットが「翻訳の際は一言も意訳するな」と言っていることから、なんとなく含蓄を感じてしまう作りになっている。

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で、僕はエヴァの新作を見るたびに、ゴドーじゃん、って思ってしまうのだけれども、いや、これは批判とかではなくて、おそらくどのような回答を監督が作ったとしてももはや手遅れで、ならばいっそゴドーのようになんか意味があるような答えがはっきり提示されておらず、見る人が自由に考察することを楽しむような作り方を続けるのが、ファンにとっても正解なのでは?と思ってしまうのである。

 

まぁ、ロボットアニメなんだけど。ね。