ルーベンスに見る、あまりにも救われない『フランダースの犬』実は我々の解釈が間違っていた説
いや、ここしか知らんし。
つか覚えてないし
って人も多いと思うのでざっくりとあらすじを
15歳の少年ネロ 。金物屋にこき使われたあげく捨てられてたパトラッシュを保護して生活するも貧しいミルク運搬業でクソ貧乏
いつか画家になることを夢見ており、アントワープの聖母大聖堂の祭壇画を見たいと望んでいるんだけど、高い拝観料が払えない。
唯一の友達は12歳の少女アロア。けどアロアの父がネロをクソ差別してる。
あげく風車小屋の放火犯にされる。その上ミルク買い取り業者に仕事を奪われ、祖父を亡し、クリスマスの前日に家賃を滞納していた小屋からも追い出される。
クリスマス前日は、街で開かれている絵画コンクールの結果発表日。落選する。
厳しい吹雪の中、村へ向かう道でパトラッシュが見つけた財布を持ち主の風車小屋に届ける。
アロアの父は今まで行った数々のひどい仕打ちを悔やみ、翌日ネロの身元を引き受けに行くと決心する。
さらに翌日には、コンクールでネロの才能を認めた著名な画家が彼を引き取って養育しようとやって来た。
しかし大事な未来を無くしたことで自分の生にも絶望したネロは極寒の吹雪によってその命を奪われ続ける中、最期の力を振り絞って大聖堂へ向かい、パトラッシュと共に大聖堂に飾られた憧れのルーベンスの絵の前で、すでに死んでいた。
人々は二人手厚く二人を同じお墓に埋葬した。
救われねーーーー
子供に見せんなや。
つかこの話、何が言いたいんだよ。
って思いません?
思いませんでした?昔。
実際アメリカでは「こんな結末では、主人公たちが可哀想過ぎる」としてハッピーエンドを迎えるように改変され「ネロが息を吹き返す」「ネロの父親が名乗り出る」といった展開になっている。
これには深い意味があるのですよ。
まぁこれは僕の解釈なので正しいかどうかは別として
その、ルーベンスの絵が実はカギを握ってるんですよ。
面白そうでしょ?
ネロが死ぬほど見たかったルーベンスの絵、実在するんですよ。
フランダース地方の都市アントワープにある、聖母大聖堂 (アントウェルペン)にルーベンスの絵は3セットあるんですけど、
いや、正面にあるやんけ、好きに見たらええがな、と
いや、実際ネロは正面のこの絵は何度も見てるんですよ。
で、名前の通り、この教会は聖母マリア様の教会なので真ん中にあるのは聖母マリア様の絵なのですが、
ネロが見たかったのは両端にちらっと見える絵の方、これ。
で、この絵は普段閉じられているか、もしくは布がかぶさっていて、拝観料を払わないと見れないんですよ。
それをたまたま、クリスマスの日、24時間オープンだったからネロは見れた、と。
で、死んでしまうんですけど、なぜ、ネロは天国に上るマリア様ではなく、死後、十字架から引きずり降ろされるイエス様を見たかったのか、って話。
マリア様の絵とイエス様の絵、
違う点はマリア様は罪なき聖母なので死後即天使が迎えに来て天国にいくんです。
正面の絵、これはそういう絵なんですよ。
けど、イエスは皆さんもご存じの通り、なんも悪いことしてないのに、濡れ衣をきせられ、いいです、自分は人々の罪を背負います、つって死ぬんですよ。
ネロが見たかった隠された絵、これはそういう絵なんですよ。
あれ?って気づきませんか?
そう、イエスのその話、ネロそのものでは?
で、ここからがさらに重要なんですが、
もう一度タイトル考えてください。
『フランダースの犬』
なんですよ。
つまり主人公はネロじゃないんです、犬なんです。パトラッシュが主人公なんですよね。
証拠に作者のウィーダは犬好きで動物愛護協会設立に尽力した女性。
と、考えるとですよ。
フランダースの犬は、ひどい扱いを受けていたパトラッシュが、心優しきネロ(=イエス様)に拾われて、人々の罪を背負いながらも教会で最期を迎えるネロと共にその人生を終えて、手厚く人々に埋葬された。
って話になるんですよ。
深いでしょ?
でもあんまりこれ人に得意げに言わないでくださいね
ネロ=キリスト説、たぶん言ってるの僕だけなので。
ではでは。