ドライブ好きの僕が同じくらい散歩を大切にする理由を辞めていった推しに伝えたかった件
こうみえて、
と書き出しておいて、この言葉はいささかブログには不向きであると気がついたのだけれども、思いついてしまった以上仕方ない。こうみえて、以外思いつかないので続けさせて頂く。
こうみえて、僕は十数年前、とあるファッション誌に毎月掲載されていたことがある。きゃりーぱみゅぱみゅは少し後輩にあたる。
はいはい、さぞモテたでしょうね、お前の自慢話に興味はない、とお思いの非モテ同盟諸君、この話にはオチがある。少しお付き合い願いたい。
撮影会は350~450人ほどが集まる。その殆どが女子である。女性ではなく女子である。
その中から編集者が20人ほど選んでスナップとして掲載するのだけれども、10名ほどはほぼ固定で毎月掲載されていた。
僕はその中の一人である。
理由は簡単で、alice auaaという、おおよそ中高生には手が出ないブランドの服を着ていたからに他ならなかっただけの話である。
ニッチな雑誌とはいえ、全国区であり、が故にファンの熱量は大きい。
会場に行くと、まず僕を知らない人はいないし、「あ、ゆうさんだ」とひそひそ話も聞こえるし、中には堂々と、今日一緒にスナップ撮ってください、とお願いしてくる子もいる。
これは別に僕に憧れているわけではなくて、僕とスナップを撮れば必ず雑誌に掲載されるという計算なのである。
撮影が終わると、大抵仲間内で原宿に移動して遊びに行くことになるのだけれど、一緒に写真撮ってください、プリクラ撮ってください、なんてのは両手じゃ足らないくらいだった。
これは単純に「雑誌に載っている人」に対しての憧れである。
素直にこのときの僕の心情を語らせてもらえるのであれば「非常に心地よかった」と言わざるを得ない。
家庭の問題で殆ど親から相手にされず、英国ロックばかり聴いていた陰キャだった自分の承認欲求を満たすには十分すぎるほどの世界だった。
さて、そんな舞台から降りた僕は、またボッチに逆もどりした。
つまりは雑誌のモデルとしての僕は人気があったのだろうけれども、僕という人間そのものに惹かれて付き合ってくれた女性なんて皆無だったのだ。
いわばロマネコンティのボトルに入れられた安いハウスワインが僕の正体で。一度グラスに注がれてしまったら、誰も飲みたくないような代物なのだ。
・・・・非モテ同盟の諸君。こんなんで宜しいでしょうか?
まぁ冗談はさておき、注目を浴びていた世界から日常に戻ったときに感じる虚無感を、一般的にはスポットライト症候群と呼んでいる。
僕の推しの場合はアイドルであって、僕なんかとは規模も目的も状態もまったく違うのを百も承知で書いているのだけれども、かなり似たような感情に、ある日突然襲われるのではないか?ともっぱら懸念しているので、届きもしないこんなブログを書いている次第である。
で、そこから脱却する一つの手段を彼女に伝えたかったのである。
やっとタイトルの回収に入るのだが、これは十行ほどで終わってしまうと思う。下手ですまない。
僕はドライブがこの上なく好きである。
好きな音楽を自分だけの空間で目一杯かけながら、日常とは違った世界を目指して移動できるのだ。こんなに楽しい趣味はあまり見当たらない。
ただ、僕はそれと同じくらい、散歩をすることを心がけている。
車で一瞬で通り過ぎていってしまった近所の公園にも、健気に花が咲いて、一生懸命自分を主張していたりする。
ご近所を散歩している犬を撫でながら飼い主と立ち話することもできる。
野良猫に出会って、今日も仲良くなろうと鳴き声なんかを真似てみるのだけれど、やっぱり嫌われたりもする。
車で通りすぎると、ただの灰色の街が、ほんのり色鮮やかに感じることができる。
いや、むしろ、生活する上での幸せはここにあるのではないか?とすら思うのである。
最後に辞めていった君へ、捧ぐ。
アイドルという人生は。君を日常の遥か先へと猛スピードで連れて行ってくれたこの上ない経験だったと思う。
ただし、その分、ゆっくり歩くことでしか見つからない、大切なものもあったに違いないと、僕は思うのだ。
もしもいつか
自分の存在意義に、自分の価値というものに、疑問を感じてしまったとしたら
思い出してほしい。
道端に咲いている小さな花を見つけるような毎日を大切にすることもまた
生きてゆく上で無くてはならないと言うことを。