Life SUCKS but It's FUN

音楽、IT、サブカル、アイドル、その他思いつくまま好きなものだけ共有したい、ルサンチマンの雑記です。

命に嫌われている青年が泣きながら歌う少女に出会った花譜という希望

「引っ張ったゴムを手放すやうに」だとか「ともすれば配達人にさへ驚愕する」だとか、学生の頃、的確に自分の心境を言葉にする詩人に出会ったときに、かつてないほどのシンパシーを感じたと共に、いわゆる文豪だとか偉人にすら、駄目な人間は居るということに驚いた。

 

僕が物心ついた時にはすでに、両親は顔を合わせれば子供の前で別れるだのなんだのと、口論となるような家庭で育っているので、愛されただとか、可愛がられたとかいう記憶が全く無いのだけれど、一度だけフザけた僕を母親が笑ってくれた記憶だけが強烈に残っているので、自分の存在価値などないと信じていた自分は、人付き合いにおいてはおどけることでしか他人の愛情を求めるすべを知らないまま育ってしまい、実は学校から帰って両親が帰宅して鉢合わせをするまでの数時間、父親のレコードを部屋にこもって聴いているときだけが自分自身そのものだった、と、まるで野坂昭如の小説のように、句読点だけで結んで、口早に自分語りはこの辺にしておきたい。

 

冗談はともかく、そういう親を恨んだことは一度もないのだけれど、外で無理をした分、ひっぱったゴムを手放すように孤独と音楽に溺れ、配達員の仕事のような当たり前のことがなかなか出来ない、生きるのが下手くそな人間に育ってしまって今でもそれが振りほどけないのは事実なのだ。

 

形は違えど、その詩人以降、いやもっと前からも生きるのが下手くそな人間は割と大勢いるわけで、カンザキイオリという青年も学校に行く意味がわからず不登校のままラーメン屋でバイトしたお金で一人で音楽を始めた人だ。

 

一人、ということは必然的にニコニコ動画だとか、初音ミクというフォーマットが一番手っ取り早いわけで、「命に嫌われている」という曲で殿堂入りを果たした、界隈では結構有名なプロデューサーではあるのだけれど、

 

僕には、いや、これは彼の技量ではなく、全くもって僕個人の事情なのだけれども、そういう駄目な人間の芸術に多く触れすぎたせいなのか、初音ミクという割と若い世代向けのフォーマットのせいなのかわからないのだけれど、当時はそこまで深く想うまでは至らなかったのが本音だ。

 

ところが。

15歳の少女が歌った「命に嫌われている」を聴いたときに、初めて彼の言葉が立体的に、二次元的だった言葉が三次元的に僕に襲いかかってきたのだ。

 

 

花譜 #33 「命に嫌われている(Prayer Ver.)」【オリジナルMV】

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僕はボロボロと泣きながら言葉を噛み締めつつ、

リピートをしてはまた再生する、の繰り返しが止まらなくなってしまった。

 

カンザキイオリ氏はその楽曲のなかで自分の多くを語ってるので、彼の人物像の想像は容易い。

だが、この花譜という少女は自分の多くを語らない。

ラーメンとアイスが好きな東北の中学生ということくらいしか僕は知らない。

 

彼女の「命に嫌われている」は、彼女の経験からなる自身の楽曲へのシンパシーなのか?

それとも単純に彼女の歌への突出した表現力の為せる技なのか?

 

僕には全くもって判断材料がないのだけれども、

彼女は他にも好きな歌をカヴァーしていて、生きること、死ぬことに関しての楽曲が目立っているように感じられるので、やはりカンザキ氏のような、生きることへの不器用さを持っているような気がしている。

 

 

と、まぁさも凄いアーティストを見つけてきましたよ的な入りをしてしまったのだが、正直彼女はとっくに有名であって何を今更と言われるかもしれないのだけれど、

 

僕のような中年には「ボカロP」だとか「ヴァーチャルシンガー」といった障壁は意外と大きいのではないかという想像も交えつつ、もし、先にも述べたように川谷絵音氏に楽曲を提供されているような現在の彼女像しか把握してない方がいたら、その根底に横たわっている、もっとエグみのあるものに少し触れてみて欲しいのである。

 

そうなのである。

彼女は現在高校生であり、われわれの数年とはかなり違った時間軸と経験速度を生きていて、生きるとか死ぬとか、何が正しいとか間違いだとか、

そういう次元から、もう一つ抜き出しつつあるのである。

 

 

花譜 #36「不可解」【オリジナルMV「不可解」Live Ver.

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 やはり生きることへの不器用さを訴えながら、社会的な正しさへの不和を認めながらも、そういうものではない、表現したいなんだかよくわからない名前のない不可解な感情があって、「正しく、人間らしく生きる」こととは真逆の、今まで否定し、否定され続けてきたその感情こそが、人間の証だ、と最後に胸を張って言い放っている。

 

これはまだ不確かではあるものの、カンザキ氏が彼女とであって生まれた希望であって、そしてそれに心打たれた我々の希望なのかもしれない。

 

 

 

花譜 #61 「畢生よ」【オリジナルMV】

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 『俺の残機を投下します』という小説のプロモーション楽曲なのだけれども、どうにも花譜が歌うと、カンザキ氏の感情のすべてのように聴こえてしまう。

 

先にも述べたが、彼女の表現力の賜物なのか、カンザキ氏の表現力の賜物なのか、僕にはもう判断材料がないのだけれど、確実に二人が何かを見つけ、そこに向かって必死にあがいているアーティストであるのは確かなのだ。

 

今年「観測」と観測の楽曲がリミックスされた「観測y」が発表された。

ボカロ楽曲に抵抗なく、花譜の感情を正面から受け取れるひとは是非観測を、

ライトに聴いてみたい人は観測yをおすすめしたい。

 

 

yの方は聞き流しながらでも心地よく聴ける感じのトラックビートで成り立っているので、「ボカロP」だとか「ヴァーチャルシンガー」に抵抗あるひとにもおすすめできる。

個人的には雛鳥(傘村トータ Remix)の踊るようなピアノが少々でしゃばり過ぎていて気に入っている。

 

そう、彼女らは進化していて、それはもう僕らがどのように受け止めても良いだけの引き出しを持っている。

「観測」とは、われわれにその選択を丸投げしているという意味である。

 

 

彼女たちはもっともっと姿を、表現を変えていくのだと想う。

最新の楽曲は、まるで過去の自分たちを客観的に叱責しているようにも聞こえる。

 

花譜 #68 「メルの黄昏」【オリジナルMV】

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 彼らがより大きなステージに踏み出すまえに、

偏見をすてて聴いていただきたい。

 

本当に素晴らしいアルバムなので、ぜひ。

 

 

 

 

「哲学的ゾンビ」を論破できる者がドルヲタに石を投げなさい~人はみな勘違いしたまま生きてゆく

 

少し前に話題になったんですけど

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今日はこれに反論したい。

 

 

哲学的ゾンビ問題

 

人の脳の働きというのは科学的にすでに色々解明されていて、

例えば赤いものを観たらどういう風に電気信号が伝達して脳に情報をあたえるか?

とか実際に再現も可能なのだけれども、例えば、

 

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@MIKOTO_RLSR

 

こういう女の子を観て視覚の情報が電気信号で脳に伝達され、過去の記憶のデータから平均的な女の子の顔の情報とマッチングさせた上で

 

「かわいいね」

 

と考えることはわかっているのですが

 

は?

宣伝くらいさせろよ。こちとらボランティアじゃねぇんだよ。

 

失礼

 

でも、「うわぁぁぁぁぁヤベェ!!クソ可愛い!!!付き合いたい!!!」と心が踊ってしまうようなこの感覚

 

綺麗な景色を観たときに、はぁ。落ち着くなぁーと思うようなその感覚

 

クオリア、と呼ばれているんですが、これが一体何なのかが一切解明されていないんですよね(意識のハードプロブレム

 

いや、それが人の心でしょ?

と言ってしまえば簡単なのですが、じゃあその心ってどういうメカニズムで発生してるの?ってことがわからないんですよ。

 

例えば将来

めちゃくちゃ精巧に人間の脳を複製したアンドロイドが作られたとして、

あなたに対して「大好き」と言った言葉、

これに「心」が無いのはわかるんですけども、見た目があまりにも人間だったとしたら、そこに心があるか、無いか、は結局僕らには判断する材料が無いんですよ。

 

これを哲学的ゾンビ問題っていいます。

哲学者デカルトが「我思う、ゆえに我あり

と言ったのは

 

色々と考えている自分の意識がある、というのだけは本当

あとはわからん。

 

とさじを投げた言葉です。

 

僕らは皆勘違いして生きているのかも知れない

 

逆に言えば、今朝あなたの奥さんが

「行ってらっしゃい!アイシテル!」

 

と言ってくれたとして、10分後には子供と観ている仮面ライダーのイケメン俳優に

「わぁこんな人と結婚したかったなぁ」

とか思ってるかも知れない。

 

もっと言えば、実は奥さんは精巧に作られたアンドロイドで

発している言葉に心がない可能性だって否定する材料がない。

 

極論で言ってしまえば、デカルトではないけれど

自分の感情は自分がわかっているのだから間違いないのだけれど、他人の感情に関しては証明する方法は全くないわけで、僕らが信じているものって、実は全てが勘違いである可能性は全くもって否定する手段が無いわけなんですよ。

 

勘違いして生きてゆこう

 昔テレビで戸川純が、恋人をフッたときに

「ごめん!勘違いしてた!」

と言ったのが印象的で、ほら、あの人哲学とか大好きだから

そういう深い意味があるのかなと思ったりしたんですけど、

 

どうせ全てが勘違いだとしたら、良い方に勘違いして生きたほうがいいんじゃないですかね?

 

僕がドルヲタになる前に友達だったアイドルの人やメイドさんなんか、

ヲタクの悪口を一切言わない人ばかりで、本当にファンを心から大切にしていました。

 

そういうのを総合的に考えた上で、

最初の画像を観てほしいんですけど、

 

彼を本当に論破できて笑える人って、いるんですかね?

 

彼の推しちゃんは、本当に彼を大好きなのかも知れない。

ヲタクはマジで優しくて一途な人が多いいから

結婚するならこんな真面目な人がいいな、って思っている可能性だって否定できない。

 

彼を笑うならまずカントを論破してからにしてくれ。

 

 

夜中の駅って時々そんな美しくもないカップルがまるでお互いが世界一みたいな感じで別れを惜しんで抱き合ったりしてるけど

「うぇwキメェww」

って思ってる僕よりも、確実に幸せなのは間違いない。

 

だったら盛大に勘違いして生きてゆこうじゃないのさ。

 

全てのドルヲタに幸あれ!!

 

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苦手な音楽を好きになる50の方法 50 ways to love music you hate

いや、50も書かないけど。

 

なんかこう、一周回ってイカすじゃないですか。

こういうタイトルって。

 

Three Cheers For Our Side ~海へ行くつもりじゃなかった: みたいな。

 

次、推しについてのブログ書くときは

「彼女について私が知っている2,3,の事柄」

ってタイトルにするって決めてます。

 

いや、めちゃくちゃダサいな。

 

一口に音楽が好きって言ってもやっぱり偏っちゃうわけで、本当に音楽好きって胸を張って言うにはやっぱりどのジャンルも網羅したいって思うじゃないですか。

 

美食家を豪語しながら

「にんじんきらーい!」

って人いないじゃないですか。

 

音楽好きですつって

ヴィジュアル系しか聴かないとかだったらそれはもう音楽好きではなくて、ただのV系ファンではないかと。

 

まぁそれは考えすぎとしても、結局なんでも偏見なしに心から楽しめた方が、絶対人生得するだろうな、というのは事実なわけで。

 

 

でね

 

20代のころアメリカに住んでて、同じバントのギタリストとルームシェアしてたんですけど、彼がボサノバにめちゃくちゃハマってて、僕にはちょっとそれがわからなかったんですよ。

 

で、ある日思いつきで僕らが住んでるニューヨークからフロリダまで、アメリカ縦断しようぜ!ってなって運転交代しながら24時間で1300マイル(約2100キロ!)移動しました。

 

 

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ほぼ北海道から九州の距離を南に向かって一日で運転するわけです。いかれてるよね。

NYを出たときはコート着て手袋してても車内でブルブルふるえてたのに24時間後にはTシャツ一枚、窓全開だったから、アメリカって凄いよなーって思ったりして。

 

フロリダ着いた瞬間、道端でスタックしてる車がいたから、降りて押すのを手伝ってあげたんだけど

 

「お前らこれ必要だろ?」

 

ってマリファナの塊くれたりして。

そんなお礼あるかよwって思ったけど、大統領だってやったことあるよーって発言する国なんで、まぁ普通なんだろな。

 

フロリダにkissimeeってところがあるんだけど、

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キスミーだって!つってふざけてる僕に、改めて友達がボサノバかけてくれたんですけど。

 

まぁこれが最高で!!!!

 

確かJoão GilbertoのAguarela do Brasilだったと思うんだけど。

 

 

 

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 その時に初めて、

「ああ、音楽って場所と気持ちとにリンクさせないと理解できないものもあるな」

と、思ったんですよね。

それ以来ボサノバは漁師が片手間で作ったアルバムみたいなものまで買うようになってしまってですね。

 

もっと若いころは憧れとか情熱みたいなもので好きになったりもあるのだろうけど。

 

まぁ、それだけの話なんですよ。今日は。

 

だから自分があまり好きじゃないなって思ってるジャンルとか

場所とか気分とか一緒にいる相手とか

そういういつもと違うシチュエーションで聴いてみたら意外とぶっささるかもしれないので、一度聴いてダメだった音源も、ずっと持っておいた方がよいですよ。

 

 

めちゃ恥ずかしい話なんですけど、この前までバイトでいた20歳の男の子とたまにカラオケ行ったりしたんですけどね。

 

彼の好きな「サイダーガール」ってバンド

ちょい前までなら絶対にバカにして聴かなかったんだけど

二人でカラオケでバカみたいに大声で歌ったら、まぁ楽しいw

 

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ああ、こういうのってこうやって楽しむと悪くないなーと。

これは多分リアコな自分を反映してるのかもしれないけど。

 

ところでこのPVの女の子、ばちくそかわいいですよね。

 

 

ではでは。

 

 

新生HAMIDASYSTEM?甘いわ!その幻想をぶち殺す!(そげぶ) リリスリバースが本気で凄い理由を語らせろ

 

旧知の同級生からの突然の電話ほど、胡散臭いものはない。

お前そんな仲良かったっけ?ってヤツが突然会おうとか言いだしたらもっと胡散臭い。

で、ファミレスなんかで大してないお互いの思い出なんか語った挙句

 

『でね、マジでお勧めしたい商品があってね』

 

つって変な水とか出されるに決まってる。

この世は胡散臭さであふれてるのだ。

 

 

でね、ヲタクの皆さんに聞いてほしいんですけども

 

 

『マジでお勧めしたいアイドルがいるんですよ』

 

 

え?まって。違うから。

とりあえず、ドリンクバー行かない?

 

冗談は抜きで僕は今までブログで全力で褒めることをしていない。

去年ハマりにハマったHAMIDASYSTEMですら

 

 

現HAMIDASYSTEMが3年間一途だった僕の心をあっさり奪った理由が超個人的な為オススメしづらい件 - Life SUCKS but It's FUN

 

こんなタイトルなのだから。

なぜなら狂信者のおすすめほど胡散臭いものはないと僕らは体系的に、あるいは処世術として知っているのだから、僕は良さも悪さも正直に書くことにしている。

 

で、もちろん推しがいるユニットということで、かなりの色眼鏡を通してのblogになってしまうことを承知の上で、それでも『リリスリバース』が、特に元HAMIDASYSTEMの延長線上に居る、と勘違いーあえて勘違いと言いたいーしているヲタクに届けたい4つのポイントをまとめてみた。

 

 

1:コンセプトが明らかに違う

メンバーであるシイカ(ex.She)とミコト(ex.Me)が所属していたHAMIDASYSTEMはプロデューサーが演劇畑の人でもあったため、ステージを一つの舞台としてとらえていたフシがあった。実際はどうであれ、少なくとも僕にはそう見えた。

そのコンセプトは、単純にユニットの良し悪しではなくて、見る側の心に刺さるかどうかの基準点を非常に限定的にしてしまうものでもあった。

 

新ユニット『リリスリバース』はその二人のメンバーと過去の楽曲を包括してはいるものの、初ステージ、もしくは初シングルに代表される「RESET&RELOAD」にも見て取れるように、文字通り、一度真っ白にリセットをし、新たにアサギ、モエギ、そして新境地ともいえる楽曲とコンセプトをリロード(再充填)してこの世に解き放たれた全く新しいユニットであることを強調しておきたい。

 

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例えば。僕の推しの表情一つをとっても、前HAMIDASYSTEMでは絶対にあり得なかった笑顔が随所に垣間見える。ヲタクの欲する盛り上がりとは別の路線を走っていた前ユニットとはあきらかに違う心構えで新ユニットへ望んでいる証だと、僕は思っている。

 

また楽曲「リセットロード」及び「ジュブナイル」自体、ヲタクにもっと盛り上がれ!と言わんばかりの作りになっているのでそこも注目してほしい。

リンクは後述する。

 

2:メンバーのビジュアルが強い

正直どうでもいい話に聞こえるかもしれないが、アイドルユニットなのである。ここは見た目にもうるさいヲタクの皆さんにも全力で届けたいポイントでもある。

 

★ミコト

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ミグマシェルターのポポ時代から随分とあか抜けたという声をよく聞くのだけれど、盲目的に推している僕からしたら、全部かわいいやんけ、あほが。としか。

 

 

★シイカ

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ハミシス時代は自他ともに認めるファッションセンスのダサさ(私服ダサいアイドルは推せるんだけど)が目立っていたのだけれど、最近色っぽさがやたら目立つ。その辺はライブパフォーマンスとの兼ね合いもあるのかもしれないので後述。

 

 

★モエギ

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跳ね返りの強そうな見た目と発言とは裏腹に、TikTokの投稿がありえんくらい可愛らしい一面も。https://www.tiktok.com/@moemoegi?lang=ja

僕の友人(女性)はこれにヤラれて推しになってる。今どきのポイント抑えた彼女のファッションも女の子は参考になるのでは?

 

★アサギ

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アイドルユニットの金髪枠は絶対に美少女という定説があって、彼女も御多分に漏れず。モエギちゃんとは別路線なのだけれど、実はめちゃくちゃオシャレさんでもある。私服もっと載せろ。

ゆくゆくは女性人気ナンバーワンになるんじゃないかな?と思ってる。

 

 

3:ダンス、歌唱力、パフォーマンスの良さ

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ひた隠しに隠してたわけでもないのだろうけども、HAMIDASYSTEMの解散後からお披露目までの期間、世界的なパンデミックの影響も考えられる中、よくぞここまで完成させたな、と本気で評価したいライブパフォーマンスは、これが初手だとしたら今後を大きく期待せざるを得ない。

 

かっこいい、かわいい、たのしい、うつくしい

 

そういった、今、アイドルユニットに求められるであろう要素が、遠慮なしに詰め込まれている素晴らしいライブ映像だと、僕は本気で思っている。

 

ミコトちゃんは、ハミシス時代の自分の毒を吐くような感情的路線を一切捨てている印象がある。彼女が改めてアイドルとは何か?を自分に問いただした結果が、この笑顔であり、優しさであると僕は思っている。

それはまた同時に悲惨だった過去の自分への決別でもあり、前を見て自分の理想へと進みだす一歩であり、成長であると、僕は感じた。

 

イカちゃんもある意味同じところがある。ハミシス時代が初アイドルであった彼女は当時からパフォーマンスに対しての試行錯誤を欠かさなかった。それはある意味ライブという本来の意味では正解なのだろうけれども、今の彼女にはその不安定さがなく、実に堂に入ったパフォーマンスを魅せてくれる。その歌とダンスに対しての自信からでる余裕さが、妖艶さすら醸し出し変な色っぽさまで感じさせる。

 

モエギちゃんは心身ともにロックな女の子だという印象。ダンスはさすがの経験者なだけあって、切れの良さではユニット一のカッコよさを誇る。またきちんと決めるところでは心の底から感情を歌にのせてくるので、見るものを圧倒させる心地よいアクセントにもなっている。リリスリバースにロックの一面があるとするのであれば、間違いなく彼女の双肩にかかっていると言っても過言ではない重要なポジションに位置する。

 

アサギちゃんは実はダンスの経験があることを暴露した彼女ではあるが、その自信のなさとは裏腹に、実に美しくも柔らかいパフォーマンスを魅せてくれる。ライブに寒暖が必要であるのであれば、彼女のパフォーマンスは全体を包み込むような、優しい光のような存在感を放ち、見ている者に安心感と安らぎを与える。

 

まぁいろいろ書いたのだけれども、百聞はなんとやら、なので。

ぜひ真っ白な気持ちでリンクを再生していただけたら嬉しい。

 

4:運営側のユーザビリティの高さと攻撃性の鋭さ

ヲタクにとって割と重要なポイントとして、運営の方針、もしくはやり方というものがある。

どんなに推しがかわいくても、運営が糞だとイライラもするし、なんならファンを辞めたくなったりもする。

 

それくらい運営がヲタク側をどれだけ大切に考えてるか?どれだけ楽しみを用意してくれているか?というのは重要なのである。

 

特に当初とは大幅に予定を変更せざるを得ないであろう、ライブ活動が制限される今の状況下において、運営の手数はすなわちそのまま、どれだけ自社のアーティストとファンを楽しませることに重点を置いているか、の基準に直結すると思っている。

 

今、さらっと書いたのだが、つまりはファンの楽しみ=アイドルの活動自体の楽しみ、であることが最高のポテンシャルだと思っているし、今のリリスリバース運営陣が繰り出すイベントの数々はまさにすべてがソレ、と言えると本気で思っている。

 

つまりは。

ここまで書いたすべてをひっくるめて一言でいうのであれば、

 

リリスリバースを追っていかないと、ヲタクとして損するよ

 

ということなのである。

 

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もう一度いう。

 

僕は嘘は書かない。

大げさなことも言わない。

忖度もしない。

 

リリスリバースを、期待して、待て!

 

★ミコト https://twitter.com/MIKOTO_RLSR

★シイカ https://twitter.com/SHIIKA_RLSR

★モエギ https://twitter.com/MOEGI_RLSR

★アサギ https://twitter.com/ASAGI_RLSR

 

公式 https://twitter.com/RILISREVERSE_JP

 

写真協力

 にわとりさんa.k.aここさん https://twitter.com/coccosandayo

 

 

幽霊の科学的根拠と認知心理学のお話

よくこう言う話は、科学VS超自然現象 のような図式になるんですが
そういうのはとりあえず置いといて、少し「認知科学」のお勉強をしましょう。


人間の脳は本能的な生存上の理由から何かを見たり感じたりしたときに
2つの大切な働きを行います。

①パターン性
何かを見たり感じたりしたとき、それが何かを理解するために、
本能的にそこにパターンを見出そうとします。(Patternicity)

例えば、これは何に見えるでしょう?

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今皆さんは必死に「パターン」を見つけようとしたと思いますが、
普通にはわからないくらいに元の写真(魚)に粗い処理がされていますので
「わからない」のが一般的に正解です。

この写真を使ってイギリスの心理学者スーザン・ブラックモアが実験を行った所
一般の人と比べ、幽霊や宇宙人、妖精などを信じる人たちは
高い確率で「(間違った)答え」を見つけたそうです。

つまり、この感覚が強すぎる人は、なにかよくわからない物の中にさえ、
勝手に答えを見つけて決めつけてしまう傾向があると言えます。


②エージェント性
我々動物は、手に負えない、わからない、と感じた時に
そこに自分を超えた意思や意味があると思う傾向にあります。(Agenticity)

例えば、あなたがアフリカの大地を歩いていると、草むらから音が聞こえました。
さて、あなたはそれが何だと思うでしょうか?

a,ライオン等の肉食動物かもしれないから危険と感じて逃げる
b,ただの風だと思うから気にしない


正直そんなものわからない、と思う反面
a の方がいいんじゃないかな?となんとなく思うはずです。

ただの風かもしれないけど、何かわからない物から自分を守るために
そこに自分より強い意味や意思(ライオン)があると本能的に思うわけです。
これがエージェント性です。

そして、この感覚が強い人ほど、
自分の手に負えないものに勝手に意味や意思を持たせてしまいます。
何にでも「世界の陰謀」やら「神の意思」やら「運勢」等と決め付けてしまいます。


さて、これらパターン性とエージェント性は、論理的よりは直感的なもので
右脳の一部分で処理されることが脳科学でわかっています。
そしてそれを司るのが「ドーパミン」なのですが、この働きが強い人は、

例えば、普通の人にはただの影に見えるものが
「人の形だった!(パターン性)幽霊に違いない!(エージェント性)」
・・・と思い込んでしまう可能性があるわけです。

 

とくに心霊スポットや、自然に人間が恐怖を感じる場所などにいると、ドーパミンの分泌量は増えるので、結果的に勘違いを起こしやすく、「幽霊を見る」 確率が上がるわけです。

これが悪化すると、とにかく何にでもパターンと意味をもたせてしまい、
人の会話が自分の悪口に聞こえる、じっと他人に見られている気がする、等
本当の意味での病気(統合失調症)になってしまう訳です。

 

なお蛇足ですが、覚醒剤が危ないと言われている理由の一つもこれで、脳内麻薬の分泌を促す覚醒剤を使用すると、ほぼこの状態になり、いわゆる勘ぐりといった、誰かに狙われているのではないか?などという妄想を起こしやすい状態になります。



幽霊が居るか居ないかはわかりませんが、加えてもう一つ、


「心霊は真面目に(科学的に)研究されていない」とよく勘違いされています。
実際は心霊、超能力等、超自然現象を扱った学問は
超心理学」として100年以上前からきちんと存在し、
イギリスやアメリカの有名大学にちゃんと研究所もあり
真面目な学者さんたちが現在でも研究、検証しております。
(因みに日本にも明治大学教授が設立した「日本超心理学会」というのがちゃんとあります。)

ただし結果から言えば、
世界的な研究にもかかわらず幽霊が存在するという証明はまだ一件もないんです。

つまり、あなたが「幽霊を見た!」と思っても
学問と超自然現象を天秤にかけた場合、
今のところ残念ながらそれが「幽霊」である可能性よりは
脳の勘違いの可能性の方が公平に考えても全然高いと言えます。

既に解明されている認知科学の可能性をバッサリ切り捨てて
「絶対に幽霊はいる!」と決め付けてしまう人は、かなりガンコです。
右脳の感覚だけでなく、もう少し理屈でも考えてみましょう。


ただし、居ないことを証明するのは、事実上不可能です。
これは「悪魔の証明」と言って、
例えば、「日本にはもう新種の虫は居ない」事を証明するためには
日本中を隈なく調査し、本当に居ないことを確認する必要があります。
これが事実上無理であるのと同じで
「幽霊が居ない」事を証明するのは実際不可能です。

証明できない以上「幽霊なんか絶対いない!」と決め付けることも出来ません。
そういう人は、世の中にはいろんな可能性が無限にあるよ!と、
もう少し夢をみてみましょう。




いくら科学や学問が発達しても、理屈は理屈で置いといて・・・

お盆にはご先祖様をお出迎えして、感謝して、
お正月には家族や友達の一年の無事をお祈りする
亡くなった人達には、天国で楽しく暮らしていて欲しい。

大切な文化や人の心は
科学や学問では永遠に解明できなくってもいいと思うのです。

全ての呪われた子どもたちへ捧ぐ~愛と汚辱のうちに

 

まるで忘れた頃にやってくる季節風のように

今でも時折、「イジメ」が問題になることがある。

 

そしてそのたびに大勢の意見として、いじめる側が悪いという立場から

イジメられる側にも問題があるという意見が

まるであらゆる議論を降り出しに戻すかのように叩かれるのを目にする。

 

つまり、一般的な印象としてはイジメられる側にも問題がある、とする側がいじめっ子の意見と解釈されているように感じる。

 

そうだろうか?

僕は逆なんじゃないかと思うことがある。

 

例えばだ。

あなたが会社に入ってイジメを受けたとしよう、

同僚がこう言う

 

「アイツらが悪いんだ、気にするな」と

 

で?

あなたは救われるのだろうか?

 

そもそも、そいつらが悪いと理解できる性質を自分が持っているのならば

落ち込むことも、傷つくこともないだろう。

 

そうなのだ。僕もそう。

 

自分が悪いと思ってしまうのだ。

 

イジメられてる側に問題があると思ってしまうのだ。

だから傷つき、悲しみ、誰にも触れたくなくなるのだ。

そして相手を恨まない。不幸になればいいとも思わない。

 

 

僕は高校生の時に近所のおもちゃ屋でアルバイトをしていた。

ゲームがあって、駄菓子があって、常ににぎやかな下町のおもちゃ屋だった。

 

そこに、小学校に上がるか上がらないかくらいの目立たない女の子がいた。

僕は彼女が他の子供と話している場面を一度も観たことがなかった。

そうして、夕方になると、おばあちゃんと思われる人が迎えに来て

一緒に帰っていくのだ。

 

傲慢だったかもしれない。

けれども、僕はなんとか彼女の悩みを知りたいと思うようになった。

 

毎週末、彼女が現れるのを待つようになった。

そうして(元来こういう人間なので)彼女が現れると嬉しくなって

満面の笑顔になってしまうようになった。

 

半年くらいかかった。

彼女のなまえは「みさ」だ、と教えてくれた。

 

それから僕は彼女が現れると嬉しくなって

 

お!みさちゃん!

 

と笑顔で声かけるようになった。

彼女も笑顔で答えてくれた。

 

けれども。

僕は結局彼女の繊細な部分に触れるのが怖くてなにも聞けぬまま

彼女はぱったりと現れなくなった。

 

風のうわさで、彼女は引っ越したと聞いた。

 

僕はそれからずっと、彼女に対して何も出来なかった自分を後悔し続けた。

 

 

 

けれども。

今は思うのだ。

 

彼女の悩みを知って、

「アイツらが悪いんだ、気にするな」

と言ったとして。

 

それがなんの救いになるだろう?と

 

むしろ、そこに行けば、嬉しそうに名前を呼んでくれるお兄さんがいる

 

それだけで十分だったのではないだろうか?

彼女が僕に返してくれた

誰にも見せなかった笑顔の意味は

そういう事なのではないだろうか?と

 

僕の好きな小説「ライ麦畑でつかまえて」の主人公

ホールデン少年は妹に、お兄ちゃんは何になりたいの?と聞かれ

 

僕はライ麦畑で遊ぶ子どもたちを観ていたい、そして崖から落ちそうな子供がいたら捕まえる役をやりたい

 

と答えた。

 

僕もそういう人で居たいと思う。

言葉なんかいらないんじゃないかと思う。

 

 

 

今日は外は雨模様だ。

にもかかわらず、朝刊配達の自転車の音が聞こえる。

 

僕には無理だなと思う。

いくら英語が理解できても、パソコンが扱えても

そういう所では自分は無能なのだろう。

 

いじめる側?いじめられる側?

SNSのせい?少子化のせい?

 

そんなのはひょっとしたら全て空論なのかもしれない。

 

人にはそれぞれの居場所がある。

魚が陸では生きられないように、

あなたがそこにいて苦しいのなら、

そこが居場所じゃないってだけの話なのかも知れない。

 

 

 

すべての呪われた子供たちへ捧ぐ。

君たちは運悪く、陸で生活せざるを得なかった魚だ。

自分の居場所よりも先に、自分が生きられない場所を与えられただけの魚だ。

 

自分を否定するな

他人を否定するな

 

自分が泳げる海まで走れ

それは弱さでも逃げでもないと知れ

それは強さと希望だと知れ

 

その先には言葉も理屈もいらない世界が待っている。

 

 

 

 

 

 

推しに捧げる最初で最後のラブレター

 

”僕に歌が歌えたなら、どんなにかっこ悪い事も言えたのに”

 

本当は君のラストライブに間に合うように何度も書き直した手紙なのだけれども

結局どんなに書いてもうまく伝えられなくて、渡すことが出来なかった手紙を

今更こうして書き直しています。

 

最初に僕は君に謝らなくてはいけないと思う

ごめんなさい。

 

いつだって、誰だって、褒めてほしいだろうと思う。

僕も自己肯定感が低い人間だから、余計にそう思う。

 

毎日だって、可愛い、好きだ、すごいね、頑張ってるね、

って言って欲しいだろうと思う。

 

でも僕にはそれが出来ないでいる、

どこか常識人ぶった大人で居たい自分がいる。

いや、違うかも。

 

ふざけることで、笑わすことで、おどけることで

どこか自分の本音をごまかして、ズルして生きてきた自分がいるだけなのかも。

 

だから、ごめんなさい。

僕はみんなみたいに、素直に毎日君の素晴らしさを言葉にすることが今でも苦手だ。

 

いい大人がバカみたい、って思う。

みっともないとも思うし、笑われるだろうと思う。

 

でも、僕は、君が

君だけは、他人の感情を決して笑ったりしない人だって知っている。

どんな話も真面目に聴いてくれる人だって知っている。

 

だから今日だけ、うまく伝えられないかも知れないけれど

がんばってみるね。

 

僕が君と出会ったのは、高円寺のちいさなフリマだった。

僕は最初。君がアイドルだって知らないで、

そして君は僕がアイドルファンだって知らないで、

 

息をつくのも忘れるくらい、いろいろな話をしたよね。

 

穏やかな青空のしたで、

君が今まで感じてきたこと、

やってきたこと、思ったこと、

楽しいこと、辛いこと、寂しいこと、嬉しいこと、

 

慎重に言葉を選びながら伝えてくれたひとつひとつが

とてもとても胸に刺さったのを今でも覚えています。

 

僕には8年間付き合っていた人がいました。

残念ながらふられてしまったのだけれども

僕はその人が人生で最後の人だと思っていたから

もう一生誰かを好きになることなんてないと思っていました。

 

二度と手に入ることのないと思っていた感情に、

ほんの少しでも触れることが出来た事

本当に君には感謝をしているのです。

 

それから

知らない街を歩いてたって

バカにして聞かなかった青臭い青春みたいな歌だって

みたこともない変な色の炭酸ジュースでさえ

 

なんだか踊りだしたくなるように感じることが出来ました。

 

全部君のおかげです。

本当にありがとう。

 

それから僕は君のライブに通うようになって

僕にはまた、別の、もう一つの感情が芽生えました。

 

アイドルとして、いや、人としてかも知れない。

決して君が口には出さないであろう、

いじめられていた君が

否定されてきた君の、歩んできた人生の苦悩が、

 

心の奥底に積もってしまって決して溶けることのない

遅延性の、緩やかな、ドロっとした、毒のような感情が

 

ハミダシステムという形で吐き出されている気がして、

 

僕は何度も涙しました。

そして僕はそれをとても美しいと想いました。

 

たとえそれが毒であっても、僕はこぼさす、

全てを掬い取ろうと、必死で君を目で追いかけました。

 

ああ、これは恋心とかではない、

君という人間に対しての愛情なんだ、と

僕は強く感じることが出来たのを覚えています。

 

そして一度覚えたその感情は、

いまでも、いつでも、これからも

変わることは決してないのだろうと、僕は強く思うのです。

 

最後に君に、もう一つ謝らなくてはならないことがあります。

もうふたつかも。

 

君がステージに立つのと同じ理由で

自己肯定感が弱い僕は、仕事が好きだ。

 

誰かに必要とされている自分が好きだ。

その感情は、君のステージを見ることよりも時には勝ってしまうと思う。

だからこれからも、何があっても毎回君に会いに行く、とは言えない。

ごめんなさい。

 

そしてこんな風に

君に感情を伝えることも、多分難しいと思う。

またあしたから、普通の大人のふりをすると思う。

バカなことをいい、ふざけて、おどけて、自分をごまかすと思う。

ごめんなさい。

 

僕は君が大好きです。世界で一番可愛いと思っています。

君を思うだけで涙がでるほど、愛しいと思っています。

もう絶対に言わないけど、毎日です、毎日思っていることを覚えておいてください。

 

 

出会ってくれて本当にありがとう。

 

ゆう

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