Life SUCKS but It's FUN

音楽、IT、サブカル、アイドル、その他思いつくまま好きなものだけ共有したい、ルサンチマンの雑記です。

「米津玄師=天才」説の疑問と彼に教えられた一つのこと

f:id:jetsetloo:20180603082036j:plain

最初に、僕は彼を初期から知ってはいるが、寄り添うように追いかけてきたファンではない事、またその上で気付かされたことがあったという内容であることを念頭に置いて欲しい。

まずは2曲聞いて頂きたい。

「結ンデ開イテ羅刹ト骸」ハチ

「Lemon」 米津玄師

「結ンデ開イテ羅刹ト骸」 は彼がハチ名義で2009年、まだ十代の頃にニコニコ動画に投稿した、そして僕が初めて耳にした作品。 「Lemon」 は彼の最新作だ。

ハチ時代からのファンからは最近の米津は傾倒してるし凡でつまらないという意見を見るし、最近のファンからはボカロPだったことがショックだという意見を見る。

どちらもわからなくもないくらいに全く別物とも言える。

ただこのBlogの結論からいってしまえば、極論にはなるがどちらも根本的な部分ではなにも変わってない、と今では思っているのだ。順を追って行こう。

 

「本当の意味でのオリジナルなんて何一つ無い」

彼の言葉を借りれば。

音楽にしろなんにしろ、創作物というものは何かしら自分の体験や影響の寄せ集めだと思うし、仮にゼロから産まれたものだと言い張るのであれば、それは単に奇を衒うだけのなんの根拠もない「芸術」という隠れ蓑を纏ったものではないだろうか?

2009年当時、ボカロといえば初音ミクのキャラ性を歌ったものやもしくはそのキャラ性を活かしたストーリィ的なものが多かった中、このノスタルジーと絶妙な不協和音に満ちた「結ンデ開イテ羅刹ト骸」 は僕にとって衝撃だった。

ではこのハチという人の作る音楽や作画の根源は何であろう?それが全くわからなかった。ゼロから作った奇を衒ったモノにしてはあまりにも作り込まれた世界観だし、恐らくは僕が今まで全く触れてこなかった音楽の世界で生きてきたひとなんだろうと、なんの情報もないまま思っていた。そしてその独特で謎めいた世界観にまるで中毒にかかるように大勢が引き寄せられ、彼はまたたく間に有名ボカロPになった。

そして現在の「Lemon」。悲しいことにメジャーになってからレーベルの要望に応えるようにガラリを作風を変えざるを得ないミュージシャンは昔から後を絶たない。

古くからの米津ファンが最近の彼にその方程式を当てはめてしまうのも無理はないかも知れない。そしてそれは同時に僕が犯した罪の1つ目でもあるのだ。

ただ、何か引っかかるのだ。本当に彼が、あの音の職人「ハチ」が、メジャーに魂を売ったのだろうか?僕は納得行かないのだ。どうしても知りたいのだ。だから僕はもう一度、一から米津玄師に向き合ってみることにした。

 

「米津玄師という少年」

彼は夕方に「恋はみずいろ」が放送で流れるような徳島の港町で生まれ育った。そしてその何もない場所にインターネットがやって来た。当時流行ったFLASHアニメにどっぷり浸かったそうだ。

ここで最初の疑問の答えは出ないという答えが出てしまった。ああ、なるほど。

ご存知無い方に説明しておくと、回線がまだ細かった当時、動画といえばFLASHアニメが主流で、今のように動画サイトなど無く誰が作ったかもわからないような変なものから作り込まれたものまでいろいろなサイトに貼り付けられ、まさに百鬼夜行の世界だった。そして音源はほぼ自作されることはなく、メジャーでいえば彼も好きだったと明言しているBUMP OF CHICKENや、そうでない場合は動画に合わせてBPMをあげたり下げだり、音声をミックスしてみたり、聞くに堪えない不協和音から偶然心地よいものまであった。気になる方は探してみるのもいいが、本当に百鬼夜行の世界なので米津玄師少年の片鱗を見つけるのは砂漠から一粒のダイヤを見るける旅になりそうでオススメできない。

2つだけサンプルをあげておく

quino episode 1 [English sub]

物凄くよく作られた作画例。「砂漠」と先ほど言ったのはファンならばピンとくる例えであったかもしれない。

F*ck! Shit! Piss! - YouTube

不協和と声のサンプリングMIXの例。申し訳ない。全く居心地の悪い例しか見つからなかった。

彼が貪るように見ていたこういったFLASH作品は山のようにあったし、その中で彼が感じた「心地の良い不協和音」があったであろうことは予想ができるし、例えばそれが「ポッピンアパシー 」のイントロなどに色濃くでているのではないだろうか?

「ポッピンアパシー」 米津玄師

話を戻そう。「結ンデ開イテ羅刹ト骸」 は 徳島の阿波おどりのリズムをベースにそういったFLASHアニメの不協和音やMIXを根源とし、彼が心地よさとノスタルジーをとことん突き詰めた音楽だったのではないだろうか?PVも言われてみればFLASHアニメっぽい。・・・だとすれば根源なんか誰にもわからないのではないだろうか?

それを踏まえ「Lemon」をもう一度じっくり聞いて欲しい。わからなければ「スマホでは聞こえない音が!?米津玄師「Lemon」に隠された音のメッセージ 」という動画を見て欲しい。「ウェッ」の声も含め、「増4度」というありえない不協和音コードの進行であることがわかれば、そこにはたった一音にも執拗に拘る彼の心地よくも奇妙な独特なセンスが初期から変わらず健在であることが理解できるはずだ。魂を売った?どこに?

「米津玄師というデジタルネイティブ

僕が青春を過ごした昭和という時代は実に情報が少ない時代であった。が故に誰もが同じようなことを話題にし、が故に他人との差別化を図ることでささやかな自尊心を保とうとしたのだ。例えばロックをやることやメジャーを否定することで自分という存在をアピールした。もっと自尊心を保ちたかったら更に地下へと潜っていく。極端に言ってしまえば変なことをする奴は変なことをしようと思って変なことをしてただけで大抵はまともだったのだ。

僕は自分の経験則からボカロPハチの奇妙さは狙って作られたものだと思っていたのだ。もっと平たく言えば人と違うことをやろうとして意図的に作られたものだと。 これが僕が犯した2つ目の罪。

「 夕方5時になると、放送みたいので「恋は水色」が流れてくる。それが僕の中の郷愁感の原点で、自分の中ですごく大きくて。あの曲を聴くたびに、夕焼けとか日暮れの頃を思い出して郷愁にかられる。そういう音楽を作りたいなあ、そういう音楽でありたいなあと思うんです。 」

・・・・本当に申し訳ない。バットで後頭部を殴られたような衝撃だ。音楽の感性を形作った根源が少々特殊であったと言うだけで、彼は最初から今に至るまで、少しも変なことをやろうとなんかしていなかった。物凄く真っ直ぐで純粋な気持ちで、その都度その都度、彼が持っている技術以上の高いハードルを儲け、狂人とも言える集中力と吸収力とセンスを武器に一つ一つ慎重に組み上げていくことで、自分の中にある美しいもの、心地よいもの、ノスタルジーなものを作り上げているだけなのだ。

ただそれが、本当の意味で他人と関わることでしか自分の居場所を作れなかった我々昭和の世代にはなかなか理解出来ない。彼は一人でも心地よい居場所を作れてしまえるデジタルネイティブ世代であって、本人はそれを良しとしていないのだ。そして彼はそういう自分を「いびつ」だし「かいじゅう」だと思っているし、けれどもそうやって自分を形作って来たものを絶対に否定する事なく、最新アルバム名を「BOOTLEG海賊版)」としたことにも表れているように、様々な体験や影響の寄せ集めである彼自身が、どうやったら伝わるのかを真剣に、本当に真っ直ぐ真剣に模索しているのだ。だからこそよりポップへと、わかりやすい音楽へと変化して行ってるのではないだろうか?我々の世代がよりディープな地下へと潜っていったプロセスは彼には当てはまらないのだ。

「傾倒しているというなら昔からとっくに傾倒している」と彼は言う。ピースサインをただのアニソンというならば、パンダヒーローやマトリョシカも当時wowoka氏が流行させたBPM200あたりのボカロ調にどっぷりと傾倒していたともいえるのではないか?

その都度その都度、そのフィールドで伝わりやすい道を真摯に模索する彼をどうして「傾倒してる」なんて一言で否定することが出来ようか?ましてや「米津らしくない」なんてどうして僕らにわかろうか?

    痛みも孤独も全て お前になんかやるもんか
 もったいなくて笑けた帰り道
 学芸会でもあるまいに

    後ろ暗いものを本音と呼んで
 ありがたがる驢馬の耳に
 ささくれだらけのありのまま
 どうぞ美味しく召し上がれ

ー『ララバイさよなら』より

ハチの作品を暗くネガティブな彼の個性だのと決めつけて、明るかったりポップだったり美しかったりする作品を「米津らしくない」と決めつけることで、僕らは「米津らしさ」を勝手に描いていただけではないだろうか?

米津玄師は天才だとも多才だとも言われている。米津本人の言葉を借りれば天才とは「飛躍できる人」のことだ。ここまで米津の言葉を辿ってみて僕は思う。天才だから、で片付けてしまうことは即ち彼の産みの苦しみや努力を見ていない事にならないのではないだろうか?

 

「 人と殴りあいながら血みどろになっても一緒にいたい 」

「MAD HEAD LOVE」 米津玄師

前出の、「ポッピンアパシー」と対をなすシングルである。丁度彼の過渡期にあたる非常にわかりやすい曲だ。ニコニコ動画で作り上げた牙城に閉じこもっていては限界がある、殴り合ってでも人と触れ合える世界の方が美しいという彼のメッセージ。それは多分彼の憧れでもあり、目指すところでもあったのかも知れない。これもまたデジタルネイティブの感性だなと僕は思うのだ。

少し余談になるのだが、しかしそう言った彼の素直なメッセージは今までの彼の難解な音楽を手放しで崇拝しありがたがったクラスタには届かない。「米津玄師  解釈」等で検索するとまぁ勝手な持論がなぜか自信たっぷりに展開されていて「ララバイさよなら」が全く空振りな気がしてそれはそれで面白いのだが、作っている本人はさぞ面白くないだろう。

僕はBlogを書くにあたり、なるべく慎重に本人の言葉を辿ったつもりだ。けれどもやはりこれも僕の私見とフィルターを通しての米津像だから、もちろん僕の言葉なんかも信じる必要もないのだ。

貴方が素直な気持ちで彼の音楽を聴いて思ったこと、描いたことが間違いなく貴方にとっての正しい米津玄師なのだから。

  少しでもあなたに伝えたくて
  言葉を覚えたんだ
  喜んでくれるのかな そうだと嬉しいな

  遠くからあなたに出会うため
  生まれてきたんだぜ
  道草もせず 一本の道を踏みしめて

ー『かいじゅうのマーチ』より

もう本当に自分がひどく汚れている気がして情けない気持ちになって心から涙してしまった。かいじゅうのマーチ。

そうして改めて思うのだ。彼は天才なのだろうか?孤独を味わい、もがき苦しみ模索をして、それでも自分が掲げた高いハードルに辿り着こうとする彼は、果たしてさらっと「飛躍して」なんでも手に入れているのだろうか?

このBlogは音楽が好きでレコードとCDをドキドキしながら集めていた自分が気がついたらインターネットで溢れんばかりの情報の渦に巻き込まれ、少し聴いては理解したつもりになって逆に切り捨てていく作業をしていた自分にたいしての戒めであり米津玄師への、ひいては音楽そのものへ対しての告解でもあるのだ。

「アイネクライネ」 米津玄師

最後、改めて米津玄師のかいじゅうとしての苦しみを知って更に大好きになったアイネクライネを置いていきたい。僕は今後も地方の港町で夕方に放送で流れてくる「恋はみずいろ」のような美しくもノスタルジーに溢れた彼の作品と真っ直ぐ向き合っていきたいと思っている。

このBlogを読んで少しでもそんな気持ちになれたなら、貴方も是非。