これは憎悪か?愛情か? ナスタジオ・デリ・オネスティの物語-ボッティチェリ
この絵はとある富豪が新婚である息子夫婦の寝室用にボッティチェリに描かせた四枚からなる物語の一枚である。
どうやら一人の騎士が女性のはらわたをえぐり出し犬に食わせている場面で、それを見ている青年が驚いているように見える。
。。。。というより、それ以外に見ようがない。
奥で別の騎士が同じく別の裸の女性を追いかけているように見えるが、これは当時の手法で、2つの場面を一枚の絵で表しているだけで、手前の騎士と女性と同一人物である。
問題は、である。
この富豪は何故ゆえにこのような残酷な絵画を新婚である息子夫婦の寝室にふさわしいと思ったのか、である。
では4枚続けて見れば、なにか答えが見つかるかもしれない。
続けて見てみよう。
余談だが、最後の一枚は個人所有のため、物語の3枚のみプラド美術館に展示してある。
一枚目
騎士が犬を追わせ、女性に襲いかかっている。
青年は犬を追い払おうとしている。
二枚目。
最初の説明の通り。
三枚目。
森の木々を切り崩して作られた即席の宴会場でまたもや騎士が女性を襲い、青年はそれを一人の女性に見せようとしている。(彼と目があっている女性がひとりいる)
四枚目
全く別の宴会場で、先程の青年が同じく先程の女性の手を取り、なにか語りかけている。
さて。
余計に謎は深まるばかりだと思う。
答え合わせをしてしまえば、これは中世イタリアの詩人、ボッカッチョによるデカメロンの一節である。
恋人パオラ・トラヴェルサーリに拒絶され自身の不幸に沈むナスタジオ(絵画の中の青年)が、騎士と犬に追いかけられ責め苦を受ける女性を森の中で目撃する。
この騎士はナスタジオ同様想い人に拒絶され自殺した騎士で、自殺した原因は騎士を拒絶した想い人の残忍さにあるとし、想い人の内臓を引き裂くなどの永遠と続く罰を神から与えられたため、一週間に一度、必ず想い人を殺害し、内蔵を引き出さなくてはならないのである。(二枚目に同じく女性を追う騎士を描いたのは、この無限のループを意味しているかと思われる)
ナスタジオは自分の愛を拒絶すると、彼らと同じ罪を被る事となることを恋人パオラに見せたいがために、週に一度、この殺戮が行われている金曜日にこの森を切り倒し、宴会場兼、プロポーズの場としたのである。
彼女とその家族を招き同場面を目撃させると、恋人パオラはナスタジオに心を許し結婚に同意した。
さて。
女性の主権が著しく踏みにじられているかに思える当時の倫理観はさておき、お互いの愛情を無下にすると、ひどい罰が待っているよ、という教訓として息子夫婦の寝室に飾ったという話は、なんとなく理解できる気がする。ところが、だ。
僕はタイトルに「これは憎悪か?愛情か?」と書いた。
実のところ、僕はそのどちらでもないと思っている。
単に結論をタイトルに書きたく無かったのもあるけれども、語呂がよいからそうしたニすぎない。
僕はこの一連の絵画を人間の究極のエロティシズムである、サディズムでありマゾヒズム、つまり性(せい)であり、性(さが)であると見ている。
皆様にはどうみえるだろうか。