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音楽、IT、サブカル、アイドル、その他思いつくまま好きなものだけ共有したい、ルサンチマンの雑記です。

彼女の秘密に気が付かぬまま8年過ごしてしまった話~デジタルネイティブと向き合う大人へ

みなさん、「デジタルネイティブ」という言葉をご存知だろうか?

産まれたときからネット環境にある世代といえば分かりやすいかもしれない。

 

当初この言葉は期待を込めて広まったという記憶がある。その世代はなにか物凄いことを創造するのではないだろうか?と。

 

しかし蓋を開けてみれば、主にSNSでどうでもいいような事を拡散するのにご執心なだけで、つまりは僕らがかつてそうであったように、「面白いこと」にしかそのベクトルは伸びなかったのだ。なにも変わらなかったのだ。

 

と、思っていた。思っていたのだがつい半年前に、根本的にデジタルネイティブが置かれている環境そのものが僕らとは全く異なる現実をはらんでいることを強く思い知った。

 

昭和世代とデジタルネイティブ世代

僕ら昭和世代は逃げ場が無かった。無かったが一歩外に出れば同世代は、文字通り石を投げればぶつかるくらい溢れていた。どこかと折り合いがつかなくとも、別のどこかで折り合いは簡単についた。

 

対してデジタルネイティブ世代は現実的に同世代に恵まれていない。しかしネットで簡単に繋がることができるから救いもないわけではない。

僕の認識はこの程度だった。

 

つい最近、米津玄師を深く知ることで(「米津玄師=天才」説の疑問と彼に教えられた一つのこと)その認識が甘かったこと、そして同時に8年付き合った彼女が離れていった理由を知ることが出来たので、今日はその話をしたいと思う。

 

 

デジタルネイティブが抱える苦悩

米津玄師は10代にして珍妙な楽曲群をニコ動にアップした。僕は彼を天才だと思ったが、どうやら様子は違ったようだ。ネットのフラッシュ動画に多大な影響を受けた彼のセンスは相当にまともじゃなかった。

 

つまるところ、才能やセンスや人格が形成される時期に、文化的に相当ニッチで深いところまで潜りすぎたのだ。そしてそれは当然現実社会おいて不和をつくりだす。バンドも経験したが上手く行かなかった彼はニコ動で評価を得ることで、その不和をさらに深刻に加速させていく。

 

彼は「ワンピースのような曲を作りたい」と真顔で言う。自分のことを「いびつ」で「かいじゅう」と呼ぶ。J-POPといえば米津と呼ばれたいと言う。自分がまともでないと思っているのだ。

 

僕の彼女は頭が良くて、真面目で大人しく、友達も一人居るか居ないか。ネットにあかるく趣味もディープでナードな高校生だった。親子ほども離れているが、当時の僕は異性と知り合う環境がそういう環境でしかなかった。

 

ネット世代の米津も彼女も、どこか心の中にそういった「誰にも理解されない」という聖域を、本来人と交わることで人格形成されるべき時期に作ってしまったのではないだろうか?

 

僕はアイネクライネを聴くたびにいつも思うのだ。そしてこの曲には彼女が僕に囁くように呟いた言葉で溢れているのだ。

 

あなたにあたしの思いが全部伝わってほしいのに
誰にも言えない秘密があって嘘をついてしまうのだ
あなたが思えば思うよりいくつもあたしは意気地ないのに
どうして

 

彼女は僕に、どうして私が好きなの?といつも尋ねていた。そしてそれは恋人同士の普通の会話だと僕は受け止めていた。

しかし現実は違ったようだ。「私は自分を全て見せていないのにどうして私を好きで居られるの?」という意味だった気がするのだ。

 

今 痛いくらい幸せな思い出が
いつか来るお別れを育てて歩く

 だとしたら勘違いも戸惑いもない
そうやってあなたまでも知らないままで

 

アイネクライネの少女は自分をさらけ出す勇気も将来も見据えて居ないようだ。

そしてそれは僕の彼女も同じで、実際にこの通りになってしまった。

 

僕は彼女にできる限りの事を8年間してきたつもりだった。仕事もデートプランも、運転も、食事も全て。彼女が何一つ苦労しなくてよい傘になっていたつもりだった。

 

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けれどもそれは彼女が望んだことだったのだろうか?彼女は本当の自分を閉じ込めたまま、僕の一方的な望まない形の愛情を受け止めるだけの存在に徹していたのではないだろうか?

そうしてその傘はいつしか溢れてしまったのだろう。

 

 

デジタルネイティブと向き合う大人へ

今の若い世代が「恋人は必要ない」と感じている話はよく聞く。

おもうに、自分の聖域を理解してもらえるとも思っていないし、人と折り合いをつけて無理やり付き合うくらいなら一人のほうが楽なのではないだろうか?恋人などど大げさでなくてもよい。上司と部下の関係でも良い。

 

それを僕ら昭和世代が「間違っている」と指摘するのは簡単だ。けれどもそういう環境で人格を形成してしまったデジタルネイティブが理屈として理解出来ても行動原理としてやり直すことは簡単ではないのではないか?

 

同じデジタルネイティブ世代であり、ヲタクでもある乃木坂の生駒里奈が卒業にあたって、乃木坂で学んだこととは?と聞かれて

 

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「人間になれた」と語った。

スタッフは笑っていたが、僕にはこの言葉がドスンと響いた。

 

また米津は、人と現実で向き合うために「mad head love」という曲を書いた。

 

今は痣だらけの宇宙で
愛とも言うその暴力で
君と二人で喧嘩したい

 

彼ら芸能人にしてもここにたどり着くのに何年も掛かった「デジタルネイティブの闇」の部分。

 

今の若い世代が理解できない、と批判する前に少しこういった事情を

理解できなくとも、知る機会になれば、と思う。

 

ではでは。